弔 辞
ロシア語通訳協会
関西支部一同
米原万里さん!
このところ、関西メーリングはひっそりとしています。
何時もの様な賑やかなメールの往復が途絶え、皆それぞれ、米原万里さんへの深い想いがあり、井戸端会議的にはならないらしいです。
関西支部は殆どが家庭の主婦であり、子育てをやっと終えた者、悩みながら子育てと真っ向に取り組んでいる者など、環境に違いはあってもロシア語の勉強には、貪欲に取り組んで亀の歩みを進めている中で、1995年12月の関西支部第9回公開講座「第1の目と第2の目と第3の目」を協会派遣講師として講演して頂き、我々普通人とは違う頭脳の持ち主で有ると言うことに、驚かされたものでした。
その折、休憩時間に新大阪駅だけで販売の「八角弁当」について一言、「私の伯父(叔父)から『万里や、大阪に来たときにはなぁ、必ず、八角弁当やで…旨いで〜』と言われているので、何時も買うのよ、今日も食べたわ」と大阪駅弁礼賛があり、それからの私たちは、米原万里さんに魅了されると共に、八角弁当派になってしまいました。
その後、作家になられてからの万里さんは、超過密スケジュールの合間に「関西に行くので、何か話しましょうか?」と声を掛けてくださり、久しぶりに2002年3月、第19回の講座として「パンツから覗くロシア=下着をたどると、全く違うロシアが見えてくる」表題からして司会者がシドモド挨拶するような、時々、爆笑入りのくだけた話し方、ロシア語に関係のない参加者も理解しやすい洒脱な講演に時間の経つのを忘れるほどでした。
2004年9月にも「関西での講演があるから…」との事で、急遽、大阪市主催の人間大学講座講演後の時間を頂き、新大阪駅に近い会場で第21回講座を設け「ロシア人に学ぶ、アネクドートの作り方」のお話を伺い、普通の真面目な言葉がアネクドートに変遷してゆく経過などについて、これまた、異彩を放つ話し振りでした。
前回、「打ち上げを…」とお誘いしたのですが「忙しいので」と、駅でさよならをしたままでしたので、お体の事を何も知らない私たちは「今度こそ、ご一緒に」と用意してあったのですが、「すぐ帰りたい」とのご希望で、又もやお見送りとなってしまいました。
思えば2004年は闘病の真最中でありながら、淡々としてサインなどされる一方、子連れの会員に子供への話しかけなど、細やかな気配りも忘れず、穏やかで病気の素振りも見せられなかった万里さんはどれほど辛かったことだろうかと、胸が痛み切ない想いがこみ上げてきます。
殊の外、ロシア語通訳協会関西支部へ万里さんが下さった細かい配慮には、支部員一同、心から深い感謝をささげると共に、万里さんを敬愛し、万里さんに学び、成長したいと願っていただけに、万里さんの余りにも早過ぎる旅立ちには、ひとしお淋しさを感じております。
万里さん!ご本人も超多忙の毎日の中で、お母様への細かい介護もされ、愛猫、愛犬の世話も続けながらの心優しい万里さんは、もう、御両親に会われましたでしょうか?素晴らしい活動家でいらしたご両親も嘗ては忙しく過ごされ、思い切り甘えられなかった幼い日々を、これからは、ご両親のお膝元でゆっくりと甘えてください。
心からご冥福の祈りを込めて。 合掌
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