No.50
竹内高明(キエフ在住)

統一地方選挙の結果

 10月末の統一地方選挙の結果、政権与党の「地域党」は24州のうち18州の州議会で第1党となり、クリミア自治共和国の議会では圧倒的多数の議席を得ました。

今回の選挙は小選挙区比例代表並立制で行われ、出口調査による全体の得票率では「地域党」は3236%程度、「ティモシェンコ・ブロック」が13%程度、その他の政党は5~6%という数字だったのですが。

「地域党」によるメディア操作が最近また問題になり(野党関連の報道を控え、政府関連のニュースは肯定的なものに限る)、ある州では野党の州議会議員候補が暴漢に襲われる事件があるなど、陰に陽に不正工作が行われていたと独立系・野党系のメディアは主張しています。

アメリカの欧州・ユーラシア問題担当国務長官補佐官が、「今回の地方選は民主主義の規準を満たすものではなかった」と発言したという報道もあり、それによると、彼は「今回の選挙は、例えば今年の大統領選と異なり、公開性と公正さの規準に合致していなかった・・・我々の知る限り、国際的な規準に適合するような選挙法はウクライナには存在していない。そのことはすでにウクライナ政府に伝えてある。我々はこの件で支援を提供する用意がある」と述べた由。欧州委員会の選挙監視員派遣団代表も、今回の地方選は同委員会の規準を完全に満たすものではなかったとの発言をしています。

新税法に対する抗議

ちなみにこの選挙の投票率は5055%と低く、国民の政治不信としらけ気分の表れと思われていましたが、11月、IMFから継続して融資を受けるための条件の一つであった新税法が最高会議で可決されるや、これが中小企業に対し不利であり大企業に都合のよい悪法だとして全国で抗議集会が開かれ、数十万人単位の小企業主や零細小売業者が参加、キエフでは都心の独立広場にテント村が出現し、泊り込みで新法の撤回を求めるという事態が発生。

大統領と首相は同広場を訪れ抗議行動の参加者らと対話、結果として大統領は同法への拒否権を発動し、いくつかの譲歩を含む新法案が最高会議で改めて可決されました。

しかしその後独立広場のテント村は早朝に強制撤去され、新税法の改正のみに甘んぜず内閣退陣・最高会議解散の要求も行っていた一部の企業家たちは、126日に新たな大規模の抗議集会を開くべく全国への呼びかけを行いましたが、それまで共に抗議を行っていた企業家たちの中にはこの呼びかけに同じない人たちもあり、6日正午前の報道によれば、独立広場は「新年の行事の準備」のため立ち入りが禁じられたため、近くのヨーロッパ広場で野党関係者も含めた800名ほどが集結した由。まあ、確かに、例年巨大なツリーの飾り付けが独立広場の隅で始まる時期ではありますが。

抗議行動参加者の求めるもの

この間の抗議行動で特徴的なのは、小企業主らが野党勢力とは直接関係なく自発的に集会・抗議行動を組織し、ついに自らの主張を認めさせたことで、アザロフ首相などは一時議会外抗議行動の意義を全く認めない趣旨の発言をしていたのですが、結局は彼らの圧力に政府が屈する形になったわけです。とはいえ、この間のなりゆきは実はヤヌコーヴィチ大統領の巧みな誘導によるものであり、「『悪い』議会や内閣を懲らしめる、民衆の声が聞ける大統領」というイメージ作りのためのシナリオだった、とするうがった見方の論説記事も某週刊紙では掲載されています。

しかし抗議行動参加者の一部は、最高会議解散とあわせて大統領のリコールをも求めており、それは新税法ばかりでなく、公営住宅の家賃の多額滞納者を追い出せるようにする、あるいは法定の就業時間制限を増やすなどといった最近の法改正、また最高議会の権限の一部を大統領に移譲する憲法改正(オレンジ革命の際、大統領の権限を減らし最高会議の権限を拡大することを条件として「体制側」と「革命派」の妥協が成立し、その時ヤヌコーヴィチ氏も大統領権限の抑制を求める一派に加わっていた。ところが自分が大統領になるや否や、覆水を盆に返してしまった)、ウクライナ語やウクライナ文化を軽視する文部大臣の発言などから、現政権に対する国民の不満がじわじわと募ってきていることに密接な関係があるでしょう。といっても、今後の事態の推移については予測が難しいところですが。

ソプラノ歌手ネトレプコのコンサート

125日、キエフ市内のホール(ソ連時代はレーニン博物館だった「ウクライナ会館」。フィルハーモニー・ホールなどとともにヨーロッパ広場に面している)で、ロシア出身、現在はオーストリア在住の世界的に有名なソプラノ歌手ネトレプコのコンサートがあったのですが、これにアザロフ首相が18分遅刻したため、聴衆全員(と演奏者)がその到着を待つ羽目に陥り、首相の臨席をコンサートの司会者が告げた時には「恥を知れ!」等の悪罵が飛び交った由。

またコンサート終了時には、首相からの巨大なバラの花束が籠に入れられステージ上に届けられたのですが、贈り主の名がまたも司会者によって告げられると、冷やかしの口笛がホールを満たした…と、ネットの某ニュース・サイトで報道がありました。

ネトレプコがチャイコフスキーやラフマニノフのアリアや歌曲を歌ったCDを私も持っており、わりと気に入っているので、このコンサートのポスターを見たときにはちょっと心が動いたのですが、どうせチケットはすごく高いだろうし、こういう催しの常として、本来のクラシック音楽愛好者よりも成金の皆さんの方がいい席に坐っているだろうと想像してしまい、結局行きませんでした。しかし行けばそれなりに「面白かった」のかも。

ブルガーコフの戯曲に基づくオペラ『逃避行』

1029夜には、ウクライナ東部のハリコフ(はロシア語表記で、ウクライナ語ならハルキウ)1940年に生まれ、94年サンクト・ペテルブルグに、98年イスラエルのテル・アヴィヴに移住して、2003年に亡くなった作曲家、ヴァレンティン・ビービクのオペラ『逃避行』の演奏会形式による世界初演がフィルハーモニーであり、この時には前売券を買って待ち構えていた私は聴きに行きましたが、なかなか楽しめました。

キエフ出身のロシア語作家ミハイル・ブルガーコフの戯曲に基づく作品で、1972年作曲、84年に手が加えられていたものの、作者の生前に発表されなかったため、演奏に際しては、ビービクの友人であった指揮者コフマン氏がスコアの改訂を行った、と演奏会で配布されたパンフレットに書かれています。ブルガーコフの戯曲も、1928年いったん上演の運びになっていながら政治的理由によりそれが中止され、舞台にかけられたのはやはり作者の死後、1957年だったと私の持っているソ連末期にキエフで出たブルガーコフ選集の解説にあります。

この戯曲は1971年にソ連で映画化されており(日本語版題名は『帰郷』)、それも一見の価値ありと私の友人でエコノミストのジェーニャ君は言ってましたが、私は観ていません。

いただいたブルガーコフ選集

話があちこちしたついでに、もうひとつ余談を書きますと、私の持っているブルガーコフ選集は、94年から95年にかけてキエフ大学の外国人向けロシア語コースで私と同じクラスにいたアメリカ人青年ジェイソン君が、キエフを去るにあたって私にくれたものです。旅の荷物を増やしたくないという理由だったのではと思いますが。

このジェイソン君は私より数段ロシア語がうまく、とにかくおしゃべりな人で、一度だけ当時の私のアパートをウォッカとオレンジ・ジュース持参で訪れ、スクリュー・ドライヴァーを作ってくれたことがあります。フィリップ・グラスのオペラ(『サティヤグラハ』)の話を聞いたのは覚えてますが、そのほか、どんなおしゃべりをしたのだったか。

その数年後に我々の先生だったマリーナ師に会った時、「ジェイソン君はハンガリーのアメリカ大使館にいて、時々電話をくれるわよ」と言われましたが、今は、どうしてるんでしょうね・・・と思ってネットで調べてみたら、なんと、それらしい人が見つかりました。ルイジアナ国立大学で、英語を母語としない人に英語を教えているようです。

ウクライナにいた後は、ハンガリー、中国、台湾、韓国、サウジ・アラビアで英語を教えており、趣味で中国語・ロシア語・朝鮮語・チベット語・古典中国語とラテン語を勉強しているとのこと。もう40歳くらいなのかなあ。写真は、キエフにいた頃のエネルギッシュな感じに比べて、だいぶ柔和に見えますけれど。

凝った演出のビービクのオペラ

 で、この日、フィルハーモニーの大ホールで聴いたビービクのオペラは、音的にはそれほど前衛前衛したものではなく、アルバン・ベルクあたりの20世紀2030年代のオペラに近い感じで、各場面に「前奏曲」とか「トッカータ」とかの添え書きがあるのもベルク風です。しかしそれが原作戯曲(192021年の時代設定)の雰囲気にけっこう合っており、内乱のクリミア半島、ロシアからの亡命者がたむろすコンスタンチノープル、亡命貴族が金力で幅を利かせるパリ、そしてまたコンスタンチノープルと、めまぐるしく変わる各場面を活写します。

オペラの最後では、客席の後ろから2枚の旗を掲げた葬列のような行列が登場し、左右から舞台に上って、紋章様の旗を1枚めくると、それぞれブルガーコフとビービクの写真が現れる、という凝った演出があり、観客の惜しみない拍手を受けていました。やはりパンフレットの解説によれば、このオペラの草稿を2008年ウクライナに持ち込んだのは作曲家の娘さんであり、楽譜化の資金を提供したのはウクライナ出身でアメリカ在住の作曲家・指揮者、バレイという人だそうです。それじゃまた。(2010年12月7日)


デザイン&入力:Ryuichi Shimizu /Yoshiko Iwaya/Yumi Kusuyama /Hiroshi Hamasaki/Kayoko Ikeda/Takumi Kohei/Yui Kuwahara/Chihiro Fujishima■監修:Hiroshi Dewa

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