No.48
竹内高明(キエフ在住)

西日本各地をめぐるチェルノブイリ支援チャリティ・コンサート                            

またまたご無沙汰して申し訳ありません。8月末に日本から戻った後、「チェルノブイリ救援・中部」のバイオガス製造装置関連の仕事が続き、それが一段落したところで、10月下旬から1ヶ月と少し、3年前にも日本に行ったキエフの少女合唱団と、同じ山口県宇部市の団体が主催するチェルノブイリ支援チャリティ・コンサート・ツアーで、主に西日本各地を回ってきました。

今回は指揮者の先生(女性)のお連れ合いで事故処理作業者の資格を持つ方も同行、コンサートの中で、短くチェルノブイリ事故とその影響について話されました。当時の内務省職員として、事故当日から3日間現場に入り、原発周辺の市や村からの住民の避難の組織にあたられたそうですが、個人的な感想や自分の健康状態などについては一切触れられませんでした。若い頃はスポーツマンだったそうで、「弱音を吐かない」態度が身についておられるのでしょう。被災者に対する国の保障についても不満や批判は口にされず、やはり「政府側の人」だったからかなあと臆測してしまいましたが、「事故処理作業者の15%はすでに亡くなり、50%は被曝に伴う疾患のため障害者となっている」と語られ、これは公式の統計ではなくご自身の実感から出た数字だろうと思います。私が知っている範囲では、ジトーミル州の事故処理作業者である消防士たちの話とも、これらの数字はそれほどかけ離れていないようです。

南の島沖縄の印象

 今回は、私が生まれてこのかた訪れたことのなかった沖縄でもコンサートがあり、観光の時間もあって、摩文仁の平和祈念公園にも行き、崖の上からひたすら美しい海を見てきました。島の北部の大きな水族館に行く途中では、巨大な米軍基地の敷地も見え、沖縄独特の大きな家族墓、サトウキビやパイナップルの畑、軒が低く塀の高い伝統的な民家も目につきました。

しかし那覇の街中を通る車の窓から目に入るのは、本土の有名資本のコンビニやスーパーの名前だったりで、実質3日足らずの滞在中、とりたてて何かを言えるほどの経験が得られたわけでもないでしょう。またいつか、自分で行ってみたいと思います。

一方合唱団の子たちは、南の島に行けるとあって全員が水着を用意しており、水温は20℃程度ということでしたが、エメラルド色の遠浅の海に入って大はしゃぎでした。私は、砂浜で眺めていただけでしたが。1123日のことで、この時、平年より暖かめのキエフではプラス7℃くらいの気温だったとのこと。

東大寺大仏殿での奉納演奏他

東大寺大仏殿での奉納演奏というのもあり、その様子はTVニュースで放映されたということでしたが、たまたま雨の降る寒い日で、暖房などない大仏殿の中では吐く息も白く、15分ほどの演奏とはいえ合唱団の子たちは気の毒でした。

伊勢では、二見ヶ浦のすぐ近くの賓日館と名付けられた建物でコンサートがあり、これは確か大正天皇の時代に建てられた、天皇家の避暑用の別荘だったそうですが、その大広間に座布団を敷いての催しでした。ステージはもともと能舞台だった由。この建物は、どういう経緯なのか聞きそびれましたが、今はNPO法人が維持管理にあたっており、入場料を取って見学させているほかに、大広間でこのような催しも行われているのだということでした。中高年の方が大多数の聴衆のノリは非常によく、手拍子も入り、ほとんど演歌のコンサートかと錯覚しそうになるほどでした(失礼)

ちょうど上関原発の建設問題で緊迫した状態にあった山口県祝島でもコンサートがあり、人口500人くらいの島民のうち100人ほどに聴いていただきました。3年前に1人しかいなかった島の小学生は3人に増えていましたが、彼らはみな姉弟で、泊めていただいた旅館で合唱団の子どもたちと剣玉などして遊びました。

コンサートホールの舞台裏で

各コンサートの会場でのこぼれ話をこういうふうに書いていくときりがないのですが、いくつかの地方都市の中規模(客席数400とか)のホールでは、照明や音響など、コンサート関連の裏方仕事の担当者が1人しかおらず、その1人はなぜかきまってうら若い女性(というと性差別になるかもしれませんが)で、不況のあおりで人件費が節約されているのかと勘ぐってしまいました。

ホールそのものは、どこもきれいで、ウクライナと日本の経済格差を見せつけられる思いでしたが。兵庫県某市のホールでは、逆に裏方さんが多く、コンサートの間舞台袖に立っていた私に、「ウクライナの主食は?」「ウクライナには長いんですか?」「日本の政権交代は知ってますか?」などと質問され、「政権交代で何か少しでもプラスの変化があればいいですけどね」と言ったところ、「いやー、ないですね[今のところ]」との反応でした。後で聞いたところでは、このホールでは定期的にオペラも上演されているそうで、地元にそういう趣味のあるスポンサーがいるのかも?

日本滞在中の体験

3年前の訪問の際、すでに合唱団の全員が温泉のファンになってしまったので(特にピアノ伴奏者のKさん[男性]は、1時間半でも平気で入っている惚れ込みようで)、今回も各地で温泉に入りましたが、まあ、きれいで大型の温泉施設がけっこうあちこちにあるものなんですね。東京の銭湯などは続々と廃業に追い込まれている、と聞いていますけれども。お土産購入のため何度か入った郊外の大型ショッピング・モールなどとあわせて、資本の集中と小型施設・店舗の衰退を感じさせられる風景でした。

そんなこんなで、この15年余りのうち私にとって最長の日本滞在中、日本と自分自身について考えさせられる体験をいろいろとしたわけですが、ちょうど合唱団が日本に発った直後から、ウクライナではインフルエンザが流行し始め、主にウクライナ西部で新型インフルエンザによる死者も発生。

ウクライナの新型インフルエンザ対策

キエフではマスクや感冒薬、ヴィタミンを多く含むレモンやオレンジなどの果実が品薄となって、価格が高騰するという事態が起こっていました。キエフの地下鉄内でも、一時は乗客の多くがマスクをするという、私がついぞ目にしたことのない光景が見られたそうですが、11月末にはもうマスクをしている人はどこにも見当たりませんでした(空港のパスポート・コントロール職員は例外)

おかげですべての教育機関は3週間の休校となり、合唱団の子たちは学業の遅れが少なくてすんだわけですが、新型インフルエンザに対する国と保健行政の無策がこのような犠牲を生んだとの批判も当然生じています。某週刊誌によれば、首相以下すべての閣僚は8月時点ですでにアメリカ製()のワクチンによる予防接種を受けていたとの情報があるそうです。大いにあり得べき話と思われます。

近づく大統領選挙に向けて

ちなみに、キエフに帰ってくると、近づく大統領選挙に向けて路上の政治広告はますます目立っており、ティモシェンコ首相の2行広告は「彼女は勝利を収める。彼女はつまりウクライナである」というすさまじい文句でした(これはその後、「ウクライナは勝利する。ウクライナとは君のことだ」というものに変化します)

「地域党」党首ヤヌコーヴィチ氏のは、直訳すれば「人々のためのウクライナ」という、一見よくわからないキャッチ・フレーズですが、善意に解釈すれば、「一部の権力者のためでなく、一般庶民のために国が存在するのである」という意味なのでしょう。

雪のお正月

 その後、キエフではしばらく暖かめの気温が続いていたのですが、12月中旬と下旬に2度かなりの積雪があり、途中で気温はいったんプラスになったものの、2度目の降雪とともにまた下がって、何年ぶりかの雪のある正月になりました。

私は大晦日から、友人の実家があるウクライナ南西部のヴィンニッツァという町(の郊外の村)に行き、そこで料理を手伝ったり、正月のご馳走をいただいたり、TVを観たり、雪の深く積もった森の中を散歩したりしました。森の中をスキーで散歩しているご一家にも出会いました。森といっても造成林で、モミの森と白樺の森が、小道を隔てて並んでいたりするのですが。

友人のお母さんの隣家はこの森の森番――というか、辞書を見ると、「森林監視人」とか「林務官」という訳もあります――のご夫婦で、彼らの家(庭にリンゴの木や蜂の巣箱もある)のわきの道端でともに焚火をし、ウクライナ名物の豚の脂身の塩漬け(サーロ)を長い鉄の串に刺して炙り、黒パンやリンゴの酢漬けと一緒につまみながら、ワインやヴォトカを飲みました。零下5℃くらい? の寒さで、雪もまだはらはら舞い落ちていました。

積雪のあおりで、泊めていただいたお家(3階の1戸建て、というか、1軒の家が真ん中の壁で2世帯に仕切られている)1231日まで数日間停電しており、ボイラーが止まって暖房もなく、水道もポンプが止まったため断水していたそうです。我々の滞在中には幸いに送電が復旧しましたが。

ウクライナの「才能」

それで、友人のひそかに恐れていた、台所で飲食しつつTVのお正月番組をみんなでだらだら観るという事態が実現し、某チャンネルでは「ウクライナに才能あり」というオーディション番組の総集編を何日もかけて延々と放映していて、私はそれをけっこう面白く観ました。これはもともとイギリスにある番組の趣向をそのままいただいて・・・というか、高いライセンス料を払っているのでしょうが・・・いるもので、ご本家イギリスの番組で話題を集めた某女性歌手が日本にも来てTVに出たようですが、ウクライナの「才能」というのは、イギリスの才能とはまた違っているのではないかという疑いを、この番組を観つつ感じてしまいました。

というのは! 素手で分厚な板に巨大な釘を打ち込んだり、蹄鉄の端を口にくわえ、反対の端を手でつかみひん曲げたりなど、驚くべき力技を次々に披露する男性、骨がないのではないかと思うほどに体をおそろしく屈曲させてみせる女性、あっという速さと巧みさでガラスの上に砂絵を描く女性、完璧なタップダンスを披露する12歳くらいの男の子など、とにかく芸達者で、しかもこれだけの芸を身につけるのに相当の時間と努力を必要としたに違いないと思われる素人ないし半玄人の人々が次から次へと登場するのです。

日本人(少なくとも、現代の日本人)であれば、第一にこういう芸を思いつく構想力・想像力が欠けているでしょうし、もし思いついたとしても、こういうある意味でアホのような芸の習得に、多くの時間と労力を注ぎ込もうという気にならないのではないでしょうか。もちろん、こういったけれん技のほかに、オーソドックスな芸(歌唱や民俗音楽など)もそれなりに立派なものが披露されていたのではありますが。

大統領選のコマーシャルと予測

 番組の合い間には、あと半月後に迫った(117日が投票日)大統領選のコマーシャルが繰り返して流され、ほとんど食傷しそうになるほどでした。ま、5年前の大統領選とは違って、他候補の揚げ足取りや醜い誹謗中傷などは幸いに目立たないのですが、実現可能と思われるような地に足のついた具体的な公約や、他候補と一線を画した新味のある政策などが打ち出されていないのも事実です。

寅年だというので、白い虎をあしらい、「自然界に稀な白い虎は、目立つので攻撃されやすく、したがって強くならざるを得ない・・・」という、ティモシェンコ首相のコマーシャルにも、なんだかなあ、と思ってしまいます。  

かつて中央銀行総裁や副首相職を歴任したティギプコ候補は、「ウクライナには強い大統領が必要」「プロフェッショナルな大統領が必要」といった宣伝文句を掲げ、路傍の広告ボードには「新年おめでとう! 新しい幸せおめでとう!」という彼の年賀広告? が見られますが、「あれは自分自身の新しい幸せを願ってるんだろう」というのが私の友人のコメントでした。

しかし、最有力候補はやはり最大野党の党首ヤヌコーヴィチ氏及びティモシェンコ首相であり、最初の選挙ではおそらく両者とも過半数の票を得られず、第2次選挙で再度対決することになるだろう、というおおかたの予測に変化はありません。

ヴィンニッツア市の古い教会

 ヴィンニッツァ市内には、二百六十数年前に建てられた木造の教会が残っており、当時の建築様式として釘は一本も使われていないということでしたが、中に入るとごくこぢんまりとしていて、ジトーミル州ナロジチ地区にある、チェルノブイリ事故による汚染のため村人が移住した後、一人残ったおばあさんが世話をしているというヴェルィキ・クリシ村の教会と大きさはかわらないのではないかと思いました。内部の造りもわりによく似ていました。

しかしこの教会では、私たちが訪れたのは12日でしたが、17日の正教のクリスマスに備え、10人ほどの信者の方々がツリーなどの飾り付けを行っている最中でした。日本からの客人が来たというので、40代かと思える神父さんが教会の説明をしてくれましたが、2度脳卒中の発作があったとかで、発音がわずかに不自由なのを気にされながらのお話で、こちらが恐縮してしまいました。この教会は町外れの丘の上にあったのですが、街中にもより大きい正教の教会があり、これも18世紀のものでした。そのすぐそばにはカトリックの教会もあり、さらに町の反対の外れにはバプテストの教会がありましたが、これは最近できたものでしょう。

様変わりした遠距離列車

 ヴィンニッツァへの往復に乗ったのは、4人の席が個室になって仕切られたコンパートメントの並ぶ車両ではなく、ひとつの車両内にずらりと座席が並んでいるタイプのわりと新しい列車で、所要時間は片道2時間半ほど。車両のはしに薄い画面があり、出発駅を出てからしばらくしてDVDの映画が始まります。

出発後すぐに車掌による検札があり、いったんチケットが回収され、降りる前にまた戻されます。車掌に飲み物やお菓子などを注文すると持って来てくれるのですが、車掌室にビールなどを買いに行っている人も見かけました。座席は全席指定で、したがって年末年始のこの時期といえども、車内の通路に立っている人はいません。切符が売られているのは駅ばかりでなく、例えば私の自宅近くの地下鉄駅そばにも鉄道切符売場があり、そこで数週間前でも購入することができ便利です。

かつては遠距離切符の購入には身分証明書の提示が必要でしたが、数年前に法律が変わり、提示なしで購入できるようになって大変助かりました。窓の外には、ひたすら雪に包まれた野原と畑と森が見えるだけ。

ツリーの下に並べるお正月のプレゼント

 友人のたのしみとして、年末のツリーの飾り付けということがあり、本物の()かなりの大きさのモミの木にガラスの飾りを下げ、点滅する電球を纏わせるのですが、その中には、彼女の父親がお祖母さんからもらったという年代物も多くあり、3匹の子豚のセット、キツネや小人、雪娘とモローズ(厳寒)じいさん、など、色褪せていかにも古びた飾りがありました。このツリーの下に、梱包されたお正月のプレゼントを並べ、新年の訪れを待って開けるわけです。

「日本では、お正月の贈り物をもらうのは子どものみであり、しかもそれは(袋に入った)現金である」というと、なんとつまらぬことか、という反応をされるのが一般的です。それじゃまた。
(2010年18)


デザイン&入力:Ryuichi Shimizu /Yoshiko Iwaya/Yumi Kusuyama /Hiroshi Hamasaki/Kayoko Ikeda/Takumi Kohei/Yui Kuwahara/Chihiro Fujishima■監修:Hiroshi Dewa

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