1月のキエフの気温
お元気でしょうか。しばらくご無沙汰して失礼しました。
キエフでは、1月に入っていったん零下十数度という当地らしい気候になりましたが、正教のクリスマス・イヴの6日には、やや寒さが緩んでマイナス7℃くらい、その後10日にはマイナス1℃にまで気温が上がりました。雪はほとんどなく、昨年降った雪のなごりが、日陰にわずか固まっている程度です。
大晦日の夜の感想
こちらの12月31日夕刻、日本人の日本語講師M先生宅で、在キエフの日本人のための年越しそばの小宴が催され、やはり日本語講師のU先生、キエフの大学でロシア語を学んでいるNさんが参加、それに私も加わらせていただきました。
特別な衛星放送のアンテナで特定の時間帯にのみ観られるNHKの『ゆく年来る年』の画像では、除夜の鐘の音に伴われて、ウクライナとはやや趣を異にした、いかにも静かではりつめた雰囲気の大晦日が映し出されます(浅草寺の人の群れは例外)。
ただ、昔岡山の実家で電気こたつに入りながらこの番組で観ていた光景とはどこかが違うなあという気がし、それは何かと考えてみて思い当たったのは、画面に現れるお寺がみなあかあかとライトアップされていることでした。これは、まあ、今のキエフでも同じですが。電力の無駄遣いということもありますが、暗がりの中で聞く除夜の鐘の方が、しっとりと落ち着いた情緒にめぐまれるのじゃないかと私は思うんですけど。
花火で迎える新年
で、とりあえず、日本に訪れた新年を遠方から祝って日本酒で乾杯し、7時間の時差をのんびり歓談して過ごした後、M先生宅のあるレフ・トルストイ広場から、都心のメイン・ストリートであるフレシャチク通り(この日のこの時間帯は歩行者天国になっている)をずっと歩いて、主に若者が続々と集まってくる独立広場に立ち、日付の変更とともに派手に始まる花火を、歓声の中に埋もれて30分近く眺めました。
次から次へと間断なく上がりまくる花火に加え、独立広場に面したウクライナ・ホテル(94年9月、私が初めてキエフの土を踏んだその夜に泊まった当時は、まだモスクワ・ホテルと呼ばれていた)の正面には、いろんなレーザー画像? が浮かび上がり、スポンサーと思しき某大手ウォッカ・メーカーのロゴもちらちらと登場していましたが、私はいささか食傷しました。
「めでたさも中位かな・・・」ではなくて、めでたさの大盤振る舞いこれでもかといったところでしょうか。
行き交う人にシャンパンで乾杯
花火が終わって、さあこれからとばかり、若者たちは三々五々にぎやかに闊歩し始め、中央郵便局の前でU先生が正月の営業時間の掲示を見ていると、そこでシャンパンを開け、プラスティックの使い捨てコップに注ぎ分けていた若者たちの一団が、「あなたがたもいかが?」とコップを差し出してくれ、Nさんが日本を代表して(?)「新年おめでとう!」と乾杯しました。
こういう心やすさというのは、日本の都会にはない、いいところだと思います。その代わり、この時点ですでに、独立広場では、シャンパンやビールの1リットルペットボトルの空き瓶、手持ち花火の残骸などのゴミがいたるところで着実に堆積しつつあり、ウクライナ在住の日本の方がしばしば指摘する「公共の場所における清潔さの感覚の欠如(あるいは不足)」が遺憾なく発揮されていました。
その後私たちは、独立広場から音楽院の脇をぬけて坂を上り、イヴァン・フランコ記念劇場前の小さな広場のイルミネーションの飾り付けの輝きでしばし心をなごませ、そこから私は地下鉄で自宅に戻りました。いつもなら終電が出てしまっている時刻ですが、この日には、地下鉄が平常より1時間ほど遅くまで営業しているので。
ティモシェンコ内閣成立
さて、日本でも報じられたことと思いますが、年末も迫った頃にヤヌコーヴィチ内閣に代わってティモシェンコ内閣が成立。1月1日からの新会計年度にぎりぎり間に合う形で、国の予算案も最高会議で承認されました。
これは、そもそもヤヌコーヴィチ内閣が9月に作成していた予算案を急いで多少手直しした程度のもので、その後のマクロ経済指標の変化や、新内閣と前内閣の政策の差異などが充分に見込まれていないため、3月頃にはさらに変更が加えられるはず。しかしそれまでは、インフレもそれほど激しくはならないだろう・・・というのが、正月明け、クリミアのワイン片手に私宅にあそびにきた友人G君(経済大学講師・マクロ経済専攻)の話です。
また、ドル・レートの安定に努めるという、国立銀行のこれまでの方針が見直されつつあるそうで、もし世界的なドル安にウクライナも同調するということになれば、ここしばらく国立銀行が人為的に支えてきた1ドル=5.05グリヴナという公定レートが、4.90グリヴナくらいまで下がる可能性がある由。
ウクライナの平均月収
ウクライナの平均月収(正職員として働いている人についての数字で、日本で言うところのフリーターなどは除外)は、国の統計委員会が出している数字によれば、現在300ドル程度にはなっており、キエフ市に限って言えば500ドル程度。もっとも、最低賃金は、上記の国家予算では今年1月1日から515グリヴナということですし、私が以前働いていた言語大学の講師の月給は、現在200ドルくらいと聞いています。
不動産価格のバブル的上昇は未だに続いており、お連れ合いNさんの両親や妹と同じアパートに住んでいる30代半ばのG君は、Nさんのお祖母さんが独り暮らしをしているアパートを改装中で、いずれはそちらに夫婦で同居する予定だと言ってました。Nさんも某社のマーケティングか何かの仕事をしておられるはず。
児童合唱団の新年会に招待されて
話は少し時間をさかのぼりますが、暮れの26日には、一昨年の秋私が日本で通訳をした児童合唱団の内輪の新年会(日本で言えば忘年会のようなものでしょうが、一年の苦労を忘れるというような後ろ向きの発想は当地ではなく、むしろ来たるべき新年の幸いを互いに思い切り願いあうというのが一般的に見えます)コンサートが、彼らの音楽学校(放課後に通う、市立の施設)であり、それに招待されて行ったところ、合唱団の女の子たちに盛大に抱きつかれました。「どうして、もっとひんぱんに来てくれないの」と言われましたが、もっとひんぱんに行ったら、これほど歓迎されなくなるんじゃないでしょうか(笑)。
アメリカ製アニメのロシア語版制作をめぐって
この人たちは、夏休みにアメリカの連続アニメのロシア語版の劇中歌二十何曲かの録音をしたそうで、それの入ったディスクをもらいました。その連続アニメは、衛星放送でアメリカの放送局から流されるものだそうですが、ウクライナでは放映されないとか。
私が想像するに、ロシアでロシア語版を制作するよりも、ウクライナのスタジオに発注した方が安上がりだという事情があったのではないかと思います。ロシアのTVコマーシャルの撮影も、同じ理由で、ウクライナで行われることがあると雑誌でも読みましたし、キエフ在住の日本人G君は、数年前ロシアのビールのコマーシャルに出演するアルバイトをしたと聞きました。
しかし、合唱団は喜んで仕事をしたようで、仕上がりはなかなかのものです(私の耳はひいき耳になっているかもしれませんが)。
宇部市の市民団体は、2009年の秋にも彼らを日本に招聘してチャリティ・コンサート・ツアーを行う企画を立てているそうです。それじゃまた。(2008年1月10日)
P.S.「ウクライナニュース38」中、ガイダイ氏の写真のサイズについて「950×2,900cm」と書いたのは、「950×2,900mm」の誤りでした。お詫びするとともに訂正させていただきます。
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