アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺から1年
お元気でしょうか。10月7日はアンナ・ポリトコフスカヤ暗殺から1年、26日はチェチェンの「テロリスト」らが占拠したモスクワの劇場に特殊部隊が突入してから5年の過ぎた日でした。ポリトコフスカヤの死後、『ノーヴァヤ・ガゼータ』が出した彼女の本(『何故に』。990ページの大冊)は、私の台所の2つの椅子の1つにずっと載っており、何日に1度かは食事時にそれを開いて少しずつ読んでいます。
5年ほど前キエフからリャザンに引っ越した、知人のK氏から手紙が届き、その内容に関して確認したいことがあったので、電話して久し振りに雑談しました。というより、ほとんどは、話し出すととまらない勢いの彼女に相槌を打ってるだけなのですが。
K氏はもともとロシア人、父君はスターリンの抑圧を受けてシベリアに流刑になり、そこで彼女が生まれたのですが、長じてジャーナリストとなった彼女は原子力に関心を持ち、チェルノブイリ原発職員の町プリピャチに住みつき業界紙の記者となり、原発建設の手抜きの実態をすっぱ抜いた記事を書いた1ヵ月後、あの事故が起こったわけです。
ロシアの民主主義はいまだ遠く、地価は高騰
ロシアも民主主義にはまだほど遠い、自分が生きてる間には無理だろう(私はレアリストだ)、世代交代を待つしかない…という発言の中で、「[政権を握っているのが]プーチンでなかったら、とっくに全体主義の体制になっていただろう」と言われ、私は、プーチン氏が大統領になる前から、彼女が氏を肯定的に評価し、チェチェン兵士の残虐行為を糾弾していたのを思い出しました。今のロシアは、すでにほとんど全体主義体制なのではないか、と彼女に言ってみてもたぶん仕方がないでしょう。
これは手紙に書かれていた話ですが、ロシアでも不動産の価格は高騰しており、5年間で地価が6〜7倍になって、彼女がリャザンの郊外に買った土地と、そこに家族で建てた家は、今や40万ドルの資産と値踏みされているんだそうです。不動産税は払っているものの、家屋がまだ登録されていない(?)。それでヴィザ取得のための招待状が出せないため、ロシアに来てもらえないが、そのうちきっと呼んでやるから…と言ってくれましたが、私として、今のロシアには、正直なところ喜んで行きたいとは思えません。
開催が待たれるウクライナの新議会
一方ウクライナでは、最高会議での組閣が未だに!行われておらず、「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」と「我らのウクライナ+国民自衛」のオレンジ連立内閣がどうやら成立しそうではあるのですが、野に下る見通しが現実化してきた「地域党」の露骨な非協力的態度のおかげで、新議会がいつ開かれるのか、ひたすら事態はもたついています。
したがって、当面は選挙前の「地域党」・共産党・社会党連立内閣がそのまま居座って仕事を続けていますが、07年度予算で見込まれていた年間のインフレ率7%を、実績が大きく上回りそうとの予想が強まり(13%くらいになるのでは、といわれています)、内閣と各州行政長・大統領が揃った対策会議が11月2日開かれました。
インフレの主な要因
私は牛乳や卵を全く買わず、ほぼ毎食自炊とはいうものの、ひとり暮らしで小麦粉ひと袋・食用油1本を数ヶ月かけて消費するため、最近の食品価格の急速な変化にすぐには気づかなかったのですが、雑誌を見ると、昨年9月から今年9月までの間に牛乳と卵の平均価格は34.9%及び48.2%上昇、小麦粉と食用油についてはそれぞれ38.5%・49.2%高くなったとあります。ごくたまに友人らと入るカフェテリアの料理の値段も、確かに目に見えて上がっています。しかも、某国際組織の見通しによれば、2008年中のインフレ率はさらに増大して16%に、2009年には17%になるとのこと。
インフレの主因としては、@2004年の大統領選前の年金値上げ、ティモシェンコ内閣による公務員給与の増額、エハヌーロフ内閣とヤヌコーヴィチ内閣によるその傾向の踏襲で、国民の所得が過去3年間に額面上2.5倍になったこと、A2005年の法改正でウクライナの銀行に外資が参入、それとともに個人対象の融資・ローンの額が大幅に増加したこと、による国民の購買力拡大が挙げられています。それに国内の生産力増大が追いつかないため、輸入が増え、貿易収支が悪化しているとも指摘されています。
画家Aさんの依頼
そういう中で、11月1日から「アート・キエフ2007」という催しが都心のウクライナ会館で開かれ、ウクライナ各地のギャラリーと造形美術作による新作の展示が行われました。(モスクワやバルト3国のギャラリーも参加。)
今回が2度目で、昨年もこの時期に同様の催しがあったそうですが、私はちょうど合唱団の通訳で日本にいたので、知りませんでした。
以前本稿で触れた画家のAさんが、この「アート・キエフ」に近作を出品しており、私は彼女のマネージャーGさんから案内をもらって、見に行きました。
8月日本に帰る前、平安時代の衣装に関する資料の入手をAさんに依頼されたので、東京の舞台衣装家Kさんの仕事場に『日本服飾史』というような分厚い写真資料があったのを思い出し、Kさんにお願いして『源氏物語』の時代の宮中の衣服(考証に基いて作成したもの)の写真をコピーさせてもらい、キエフに持ち帰ってAさんに渡したところ、「これをシルクで縫ってもらい、モデルの日本人に着せてスケッチする」という話でした。ちなみにその時、日本人女性も紹介してほしいと言われたので、キエフ在住のお二方をAさんに引き合わせたのですが、おそらくこの展覧会の準備などで忙しかったのでしょう、まだ「源氏」シリーズの制作には手がつけられていないようです。
写真家イーゴリ・ガイダイ氏の作品の視点
会場でAさんに挨拶した後、他の展示をずっと見て回っていると、写真家イーゴリ・ガイダイの作品を展示したホールがあり、入ってすぐの壁にかかっていたのは、チェルノブイリ原発4号炉を前に並んだ職員たちの集合写真でした。(http://www.foto-gaidai.com/uploads/media/Chernobyl.jpgで見られます。今年6月13日に撮られたもの。)
あれだけ放射線量の高いところで、こんなに多くの人が集まっているということに一瞬衝撃を受けますが、考えてみればその構内が彼らの日常の職場なわけです。
これは写真家がウクライナ各地で撮り続けている、「ВМЕСТЕ.UA」と題されたシリーズの1枚で、他にクリミアのチタン工場の従業員、ウクライナ国防省職員、オートバイ・ライダーの一団、炭鉱夫、障害児施設、結婚式などなどが上記ガイダイ氏のサイトでは見られますが、会場に展示されていたのはそれぞれ950×2,900cmという作品の大きさもあって、10枚くらいだったでしょうか。
写真家ご本人も会場に座っており、写真撮影現場のようすを収めたヴィデオも上映されていて、けっこう面白く見られました。日本でいうと、橋口譲二氏がさまざまなテーマで撮り続けているようなタイプの写真でしょうか。橋口氏の場合は、もっと「個人」に焦点が(文字通り)合っているわけですが。
楽しめるムラートヴァ監督の新作映画
さて、時間をひと月さかのぼり10月3日、私は待ちに待ったムラートヴァ監督の新作を映画館「キエフ」で観ました。1日1度、18:40からの上映とはいえ場内は満席、たまたま私の知人の日本語関係者3人(みな20代の女性)が連れ立って観に来ていました。
キャメラは、これまでムラートヴァ作品の多くを撮っているG.カリュークでなく、V.パンコフという人で、画面の感触が従来とちょっと違うという気はしますが、それ以外はいつも通り、やりたいことはなんでもやりたいようにやるという監督の気概がびしびしと伝わってきてうれしくなります。
特に後半、雪の舞う大晦日の夜のオデッサを舞台として、かつてムラートヴァ作品の数本で共演しているリトヴィーノヴァとブズコの女優2人が、ヴェテランの男優ストゥープカを相手に繰り広げる、祝祭的奇妙さのあふれる演技の連続!この監督の映画としてはやや軽めの趣がありますが、それはいい意味の軽さというべきで、私は、大いに楽しみました。
季刊映画誌の『シネサークル』が、秋号の全頁をムラートヴァ特集に充てており、この『2 in 1』に出演した俳優たちのインタヴューもあって、豪華な内容ですが、私はこの間「チェルノブイリ救援・中部」の仕事が忙しく、まだ少ししか目を通せていません。
11月16日からは、宇部の団体が今度はキエフの内視鏡検査医の方を講演に招聘し、私はまた西日本で通訳をします。キエフには11月30日に戻ります。それじゃまた。
(2007年11月15日)
|