No.37

深まりゆくキエフの秋

10月に入って、キエフの気温は20℃を切りました。おおよそ好天が続いており、街路樹はゆっくり色づき始め、森の中でも散歩すれば気持ちがいいだろうなと思わせられますが、私の住んでいる集合住宅はバス通りに沿って建っています。おかげで交通の便はよいのですが、近年とみに増えた交通量から考えて、空気はあまりきれいではないだろうと推測します。まあ、以前豊橋で国道1号線のすぐそばに住み、一晩中大型トラックの通る振動の中で眠っていた時のことを思えば、まだましかもしれません。

いまだ不透明な「組閣」

930日に行われた最高会議選挙の結果については、日本のマスコミでも報道があったと思いますが、108日現在、いずれにしても連立とならざるを得ない新内閣を組織するのはどういう政党の組み合わせなのか、未だに不透明です。

選挙戦中の立候補者たちの発言から考えると、得票率30%強の「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」と、14%程度の大統領支持派閥「我らのウクライナ+国民自衛」が中心となって組閣が進むのが順当なのですが、ユシェンコ大統領がこの2者に対し、得票率34%強で一応首位を占めている「地域党」との話し合いを指示するということがあり、大統領の真意が取り沙汰されています。

ユシェンコ氏とは、控え目に言ってもそりの合わない、しかし国民の一部に根強い人気を持つティモシェンコ氏が再び首相の座に返り咲くことを警戒しているのか、あるいは、事前の「根回し」を行うことで、「地域党」が野党に回っても議事が円滑に進行することを期待しているのか。

108日には、大統領が各政党の代表者を招き、5日以内に組閣を終えるようにと要請した旨報道がありました。しかし、「地域党」のヤヌコーヴィチ現首相は、この会合後「開票作業が完了するまでは待つべきだ」と発言。地方の投票所では、未だに票の数え直しを行っているところがあり、開票結果の書類がすべて正式に揃うのは、1014日ないし15日だろうとのことです。いずれにせよ、無駄な混乱なしに、組閣が順調に進むことを願いたいものですが。

米仏企業によるチェルノブイリ原発4号炉「新石棺」等の建設

さて、これも日本でニュースになったかと思いますが、917日、チェルノブイリ原発4号炉の「新石棺」及び同原発敷地内の第2使用済み核燃料貯蔵施設の建設について、それぞれフランスとアメリカの企業との契約が締結されました。署名式には、ユシェンコ大統領とヨーロッパ復興開発銀行総裁が立ち会ったということです。後者を通じて、ヨーロッパ諸国から33百万ユーロが提供されるとのこと。

現在の石棺をすっぽり覆うアーチ形の「新石棺」は100年間の安全を保障することになっており、5年後に竣工の予定。第2使用済み核燃料貯蔵施設には、原発の1号炉から3号炉までに装荷されたままの燃料のほか、数年後に使用期限が切れる既存の第1施設に貯蔵されているものが移されるそうで、こちらの建設は44ヶ月後に完了の予定です。しかし、いずれの施設も、設計にこれから1年半が見込まれているそうで、その間に建設費が増加したり、竣工までの期間が延びたりということも充分あり得るでしょう。

「環境破壊」−関心を寄せて欲しい《危険なゴミ》

選挙の前日、929日には恒例のウクライナ日本語弁論大会があり、大学生の部で同点1位だった2人のうちの1人は、「人間と自然」というテーマを取り上げ、環境破壊を憂えていました。その対策としては、まず道にゴミを捨てないことから始め、さらに子どもたちが自然を愛するような教育をすることが提案されていました。

確かに、タバコの吸殻やペットボトルの路上での投げ捨ては、キエフの街角でよく見かけることであり、マナーを正してもらうに越したことはありません。キエフ市近郊のゴミ処理場は容量の限界に達しており、新しいゴミ焼却場の建設が計画されているそうですが、それ以前にゴミ分別を導入し(現在は、市内のごく一部で実験的に行われているだけ)、ゴミの減量を図るのが順序だとの意見もあります。しかし、「危険なゴミ」の最たるものであるチェルノブイリ4号炉の処理についても、市民の関心がもっと高まってよいのではないかと思います。

ベラルーシの汚染地域でのナタネ栽培情報の真偽

9月前半に「チェルノブイリ救援・中部」の代表団に同行し、ジトーミル州の放射性物質による汚染地域でヴィデオ撮影をしていた、滋賀県在住のMさんは、大阪外大でロシア語を学んだ後中退、しかし高校時代から映画に関心があり、ロシアで出た『ソヴェート映画史』の日本での翻訳・出版を手伝ったという人です。

昨年から「救援・中部」の汚染地域でのナタネ栽培プロジェクトに興味を持ち、その進行過程をドキュメンタリー映画にまとめるという計画を立てており、今回が4度目のウクライナ訪問でした。

彼は、代表団の帰国後、ベラルーシの汚染地域でナタネが大規模に栽培されている(その援助をしているのは、あのIAEA[国際原子力機関]。今や「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれる大統領の下、国際的支援も途絶えつつあるベラルーシで、本来の業務とはあまり関係なさそうに見えるこのような事業をIAEAが行っているのは、「さしものチェルノブイリ事故といえども、このようにしてその影響を軽減することができるのだ」と誇示するという下心があってのことではないか、と疑ってしまいますが)という情報の真偽を確認する意図もあって、同国のゴーメリ・モーズィリあたりを訪問、その後キエフに戻って、私にベラルーシの印象を語ってくれました。

上記の通りゴミが目立つ近年のキエフの街角に比べ、ベラルーシの歩道は掃除が行き届いており、その代わりに目立つのは警官の姿だそうです。

ナタネ油の加工工場を取材した折にも、地方行政の役人たちが何人もずっと同行しており、工場内での撮影は許可してくれなかったとのこと。おりしも国家規模で祝われる秋の収穫祭があり、その行事にやってきたルカシェンコ大統領の車を見かけたそうですが、曇りガラスにさえぎられて内部は見えず、その前後を護衛車が取り囲んでいたということでした。

Mさん撮影のDVDによるジトーミル州ナロジチ区の現実

Mさんがベラルーシに行っている間、彼がジトーミル州ナロジチ地区でこれまでに撮影した映像をとりあえず1時間半ほどにまとめたDVDを、私の友人Y君に観せたところ、「自分の今抱えている問題も、彼らの生活に比べれば何ほどのものでもない。まして日本の人がこれを観ればどう思うだろうか」と真剣に感想を語られ、私は何と答えるべきか悩んでしまいました。

比べるために観せたんじゃない、と言うのもそらぞらしい気がしますし。しかし映像の力というのはなかなかのもので、「救援・中部」のパートナーであるジトーミルの団体のK氏やD氏も、同じDVDを観てかなりの印象を受けたようです。ナロジチを訪れたことがなく、移住が行われた村の廃屋などの画像を初めて観たのらしいD氏からは、「さらに手を入れて、ジトーミルで10月下旬に開かれる映画祭に出品してはどうか」という提案がありました。Mさんに伝えたところ、残念ながら「今回は、編集し直す時間的余裕がないので、遠慮する」とのことでしたが。

「ファクトゥイチノ・サミ」のこと

で、この後は本の話を書きます。バンド「ファクトゥイチノ・サミ」(ロシア語ならФактически сами) のヴォーカル、1980年生まれのイレーナ・カルパは、かつて私が日本語を教えていたキエフ言語大学の仏語科を卒業した人で、世界各地の旅行経験を記事にして雑誌に寄稿するほか、小説をこれまでに4冊上梓しています。最新作は『Bitches get everything』という英語の題名で、けっこう売れているようです。

「ファクトゥイチノ・サミ」のことを私が知ったのは、以前本稿でご紹介した「侏儒ツァヘス」のCD中、カルパのヴォーカルをフィーチャーした1曲があったからです。その後、独立広場で開かれていた何かの集会で、「ツァヘス」が演奏しているのを私は偶然見かけたことがあります。私の好きな「私の中の彼」という曲でしたが、バラード調のこの歌は、あんまり大集会向きではないような気がしました。そういうものをあえて奏るところが、彼ららしいのかもしれませんが。

で、そういえば「ツァヘス」の新しいアルバムが出ないなあと思い、最近彼らのサイトを開けてみたところ、ギタリスト(ムィハイロ・ギチャン)が数ヶ月の闘病の後、712日に30歳で亡くなったという通知? が掲載されていました。ああ。

その代わりというわけではないのですが、「ファクトゥイチノ・サミ」のアルバムを何枚か買って聴いてみたところ、なかなかヴァラエティに富んだ曲作りで、けっこう楽しめました。


カルパの本

私は、8月の日本滞在中にウクライナ語を忘れないよう、鈍行列車での遠距離移動中にでもカルパの本を読んでみようと思い、最新作ではなく、ペーパーバックでより軽そうな『螺鈿細工のポルノ(孤独のスーパーマーケット)[2005年刊]を持っていきました(『チェルノブイリの祈り』増補版は、かばんに入れ忘れました。ああ・・・)。しかし、トシのせいか、年々厳しくなりまさる日本の夏の暑さが体にこたえたせいか、鈍行の車内ではうたた寝の時間が多く、読書はそれほどはかどらず、キエフに戻ってから主に地下鉄の中で読み続け、読了しました。

一見軽薄かつマンガ的に見える描写の連続ですが、基本的にはごくまともでヒューマンなものの考え方が示されており、それが面白いとも言え、また人によってはつまらないところかもしれません。

「オレンジ革命」に際して、ほぼ作者と同一視できる主人公は「革命」支持の立場をとっていますが、その立場が理屈でもって根拠付けられるわけではありません。あちこちでおフザケの対象になっているウクライナのポップス歌手たちについても、なぜ彼らがバカにされているかの説明は一切なく、音楽に対する作者の感性を共有できる読者が最初から想定されているということでしょう。


セルギイ・ジャダンの語り

カルパの本の後、地下鉄の中では、やはり軽くて薄いペーパーバックのセルギイ・ジャダン『Anarchy in the  UKR(2005)を読むことにしました。1974年生まれのジャダンは、一般的にはロシア語圏のハリコフ(これもロシア語読みの地名で、ウクライナ語ならハリキウ)に住みつつウクライナ語で詩やエッセイを書いている人で、この本の題名はセックス・ピストルズの『Anarchy in the UK』のもじりですが、著者が友人とともにアナーキストネストル・マフノゆかりの地を訪ねつつ、ウクライナの近過去と自らの過去を回顧するという二重底のつくりの本です。

インドネシアやドイツを旅するカルパの主人公のマンガ的な、しかし軽いほろ苦さを含んだおしゃべりに対して、ウクライナのさびれた田舎を夜行列車やバスで走るジャダンの語りは、過去と現在の重い現実を独特のなかなか終わらない文で描写する中に微光がきらめいてくるという感じのものです。


サブシコの最近のインタヴュー記事から

そして、自宅の台所での食事の際には、ウクライナ語の辞書をなるべくこまめに引きながら、以前本欄でも紹介したオクサーナ・ザブシコが4月だったかに出した『Notre-Dame d’Ukraine:神話のせめぎ合いの中でのウクラインカ』をちびちびと読んでいます。

現在200グリヴナ紙幣に肖像が使われている作家レシャ・ウクラインカ(本名ラルィサ・コーサチ、18711913)の作品と生涯を読み解きつつ、その受容史にも触れ、20世紀そして現代のウクライナの精神史を記述していくという本で、露骨な皮肉をふんだんに含む筆者の語り口が肌に合わない読者もありそうですが、その意図は壮とするべきでしょう。

ザブシコのインタヴューが最近の『今週の鏡』紙に載っていたので、読んでみると、この間の政治状況に幻滅気味の記者の「なぜインテリゲンツィヤは沈黙しているのでしょうか?」という問いかけに対し、「TVやインターネットでなく、ウクライナ全国で読まれ、批評の対象となるようなシリアスな評論誌(情報誌でなく)、重要な問題に対するディスカッションが行われ、そこでは人々が共通の語彙で語るような、そのようなメディアが必要です」と答えています。確かに、日本ではまだなんとか生き延びているようなその種の雑誌は、ウクライナではほとんど見かけません。

「私は、ウクライナ人が過去に抑圧され、おとしめられ、虐待されたことに対して嘆き悲しんでるわけじゃありません。[中略]そういった過去にもかかわらず、私たちは生き延びてきたんです。ごく近い過去で言えば、あのクチマ[大統領]時代のコムソモール出身者たちの跋扈にもかかわらず。そして私は、30代と20代の人たちの間の、知性の質的な差異を今すでに感じています。そのことは、一種の楽観主義をさえ抱かせてくれます」と語るザブシコは、その楽観主義に対し懐疑的な記者に、「私を大学に呼んでくれるのは、学部でも講師でもなくて、この若い人たちなんですよ! 雛鳥みたいに、くちばしを開けて待ってるんです。彼らに栄養を与えさえすれば」と答えています。

彼女はアンドルホーヴィチと同年の1960年生まれですが、自分と同世代の日本作家に興味の持てない私は、ウクライナで彼ら(福沢諭吉の表現を借りれば、「一身にして二世を経た」世代でしょう)の書き物を面白く読めるのを幸いに思っています。

なお、ムラートヴァ監督の新作はついに一般公開されましたが、それについてはまた次回。
(2007年108)

竹内高明(キエフ在住)

デザイン&入力:Ryuichi Shimizu /Yoshiko Iwaya/Yumi Kusuyama /Hiroshi Hamasaki/Kayoko Ikeda/Takumi Kohei/Yui Kuwahara/Chihiro Fujishima■監修:Hiroshi Dewa

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