No.36

気温の変化の激しいキエフの夏

 お元気でしょうか。私は、89日から日本に一時帰国中ですが、それ以前のキエフは、7月半ばからかなり暑い日が続き、急に涼しくなってはまた暑くなるなど、相変わらず予測の難しい天候でした。

少女合唱団のピアニストVさんからの電話

昨秋、日本でチャリティ・コンサート・ツアーをしたキエフの少女合唱団のピアニストVさんは、本業がウクライナ国営ラジオ局の職員で、今年3月、合唱団を日本に招聘した宇部市の団体の方々がキエフに来られた際には、ラジオ局内の小ホールでこの合唱団のミニ・コンサートがありました。

8月初め、このVさんから私に電話があり、「6日、某FM局の生放送番組で、広島の原爆をテーマに取り上げるが、何分かコメントをしてくれないか」というお尋ねでした。

数分ならと思ってお受けしたのですが、局に行って話を聞いてみると、全部で50分の番組で、最初に私ともう1人のゲストK(放送当日にいただいた名刺の肩書によると、非常事態省付属民間防衛研究所の副所長で、専門は放射線生態学)の話があり、その後リスナーからの質問に答えるのだということでした。 

生放送番組の出演を引き受けて

引き受けるのではなかったと後悔したのですが、この時すでに3日金曜日の午後4時で、「日本大使館の方にお願いしては・・・」などと言って逃げるにはもう手遅れでした。

 で、私の手許にある、以前キエフを訪れた被爆者の方々や、広島大学の先生からいただいた資料で付け焼刃の勉強をし、ネットで5日と6日の日本の新聞記事を見てから、都心にあるFM局のスタジオに行きました。考えてみると、ラジオ局のスタジオに入るというのは初めての経験ですが、あまりじろじろ見るのも恥ずかしい気がして、細部をちゃんと観察していません。

私は、自慢ではありませんが、視覚的記憶が悪い人間です。いつも何かしらぼんやり考えていて、「意識的に目で観察する」ということをあまりしていないのかもしれません。

ラジオの生放送の体験

それはともかく、大きなマイクが1つ載っているテーブルに番組の司会者(というんでしょうか? まだお若い女性の方でしたが)をはさんでKさんと私が座り、私が資料をテーブルの上に雑多に並べているのに対し、Kさんは私の渡した名刺をもてあそんでいるだけで(受け取った名刺を、話しながら手にしてもてあそぶという人がこちらで時々いますが、他の国ではどうなんでしょう)、何も参照することなくなめらかにリスナーの質問に答えており、私は資料とテーブルの摩擦音がマイクに入るたびに冷汗が出る思いでした。

私のうろたえている顔がリスナーには見えないのが救いではありますが。時間配分がよくわからなかったこともあって、あらかじめ考えていたことの半分も話すことができず、広島の方々には申し訳ない思いでした。

広島で起こったこととチェルノブイリ事故との物理現象としての差異は、K氏が簡潔に説明してくれましたが。

リスナーからの質問

 リスナーからの質問には、日本の被爆者の保障制度について、日本の原子力発電の原状について、原発事故の際住民がとるべき対応のマニュアル等を国が提供しているかどうか、日本でも食品の放射能測定は行われているか、などといったものもありました。

日本の原発事情については、「チェルノブイリ事故以降、日本でも何度も深刻な事故が起こっていることもあり、市民の意識は変わってきていて、新規建設は難しくなった」と答えたところ、K氏は「ウクライナでは現在、原発による電力生産は全体の4割を超えており、今後も原発に頼らざるを得ないのが実情。問題は原発の安全性をより高めることと、住民に不安を与えないため、事故時の対応に関する情報を周知させ、防災システムを整備することだ」と言っていました。

「娘はキエフで19861月に生まれ、事故直後も外で遊んでいた。幸いにして大きな病気はないが、今後気をつけるべきことはないか」という中年女性からの質問もあり、これに対してはK氏が「免疫力低下という可能性がないとはいえないので、健康維持に必要な運動・規則正しい生活・食事に配慮すること」といった回答をしていました。

放送を終えて

全体的に、広島の話よりも、やはりチェルノブイリまたは日本の原発に関する質問が多く、「チェルノブイリ」がこの国でまだまだ現在進行中の話題であることを感じました。

放送終了後、司会のAさんがそのまま正面出入口まで送ってくれ、にこやかにお礼を言われ、またよろしくということで終わり。お茶もお水も記念品も出ませんでした。まあ、別段、喉がかわいていたわけでもなく、Aさんの優しい笑顔が心地よかったので、ソンをしたというような気はしませんが。若い女性ににっこり微笑みかけてもらうというような機会は、だいたい自宅にこもって電話・メールの連絡や翻訳作業をやっている私の日常では、そう頻繁に生じるわけではありません・・・というより、稀有のことです。

K氏の印象

スタジオのある2階から階段を下りながら、K氏が、「原子力防災に関する法律の見直しを非常事態省でも考えている。とはいっても来年以降になると思うが。その監修をしてもらえないか」と尋ねてきたので、「チェルノブイリの問題を長年研究している日本の学者を何人か知っている。彼らの意見を聞くことはできるだろう」と答えておきました。

恰幅がよく、首の周りの肉付きが特に目立つ(こういうことは、なぜか覚えている)K氏は、日本の「御用学者」の方々にありがちな(失礼)いやみな態度はなく、あたりのやわらかい人でした。

AさんとK氏はウクライナ語で話し、私はロシア語で話させてもらって、2ヶ国語放送()でした。たまにラジオを聴いていると(ほんとにたまにしか聴きませんが)、リスナーの質問をスタジオのゲストが受ける場合、リスナーがウクライナ語なら質問もウクライナ語で返し、ロシア語にはロシア語で対応する、というのが普通のようです。私宛の質問は、リスナーがみなロシア語で聞いてくれましたが。

ウクライナ西部で起きた貨物列車の脱線事故

 防災といえば・・・716日夜のTVニュースで、柏崎刈羽原発の放射能漏れ事故の報道があり、重苦しい気分になっていたところ、17日昼、ジトーミル市在住のチェルノブイリ事故事後処理作業者Tさんから電話があり、「TV見てるか」と言われたので、この話かと思ったのですが、そうではなく、16日夕刻にウクライナ西部のリヴィウ州で貨物列車の脱線事故があり、黄燐を積んだタンク車両15台が横転、火災が発生したという件についてでした。

「風は東に向かって吹いているので、事故現場から大気中に放出されたものが17日深夜あたりにキエフに到達するだろう。窓を閉めて寝るように。公式発表は信用できない」というお気遣いでした。

その後TVやネットでニュースを見ましたが、入院したのは当初消防士など20人、その後次第にこの数字は増えて、22日には174人という発表でした。周辺の4ヶ村に11,000人が在住しており、近くに住む数百人は事故直後避難させられ、地域の子どもたちはのちにウクライナ東部のサナトリウムに送られた由。

列車はカザフスタンからポーランドに向かう途中だったそうで、修復後、またロシアを経てカザフスタンに送り返されました。

被災者の脳裏によみがえる「チェルノブイリ」を思う

それにしても、事故そのものの物理的影響もさることながら、何十万ものチェルノブイリ被災者が、こういうニュースを目にするたびにあの悪夢を脳裏によみがえらせているだろうことを考えると、やりきれません。

この他にもいくつかの鉄道事故が続いて起こっており、運輸・通信大臣の免職を求める声も大統領陣営からは上がっていましたが、結局、誰が責任を取るということもなく、非常事態省大臣らと現場にかけつけた副首相クズムク氏(ロシアの旅客機を、演習中のウクライナのミサイルが撃墜してしまったあの時国防大臣だった人)が、「チェルノブイリの再現だ」と口にしたのをとがめられて訂正する、ということがあったのみ。

930日の最高会議選に向けて、すでに選挙運動が行われていますが、国民の気分はしらけています。それじゃまた。(2007年820)

竹内高明(キエフ在住)

デザイン&入力:Ryuichi Shimizu /Yoshiko Iwaya/Yumi Kusuyama /Hiroshi Hamasaki/Kayoko Ikeda/Takumi Kohei/Yui Kuwahara/Chihiro Fujishima■監修:Hiroshi Dewa

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