No.34
天候不順の初夏の日常生活

読者の皆様お元気でしょうか。しばらくお休みして失礼しました。ある事情で非常に忙しくしていたのですが、これまたある事情でその詳細を書けないのが残念です。(個人的な問題でも、「チェルノブイリ救援・中部」の問題でもなく、外部? に関係する問題なので。)

 5月初めには数日続けて雪がちらつく異常な寒さでしたが、5月下旬に入ると今度は毎日30℃を越える暑さが続くようになり、雨もほとんどなかったため、ウクライナ南部では穀物が枯れ始め、これを刈り取って新たに種まきをしなければならないという地域もあるとのこと。

日本の夏に比べれば湿度は低く、私が住んでいる築後50年以上の建物(5階建て、エレヴェーターなし)はレンガ造りの壁が厚く、室内では冷房なしでもしのげますが、おもてに出て、やはり冷房設備のないバスに乗り、それが混んでいたりすると、けっこう体力を消耗します。62日の晩からぐっと気温が下がり、3日には20℃くらいだったかと思いますが、その後また日中は27℃くらいまで上がっています。

私は、野菜類はいつも近くの地下鉄駅前の市場で買うのですが、今年は夏物の野菜が品薄らしく、なかなか値段が下がりません。新ジャガは1kgあたり6グリヴナ。まだかろうじて出回っている昨年収穫のジャガイモは2.5グリヴナ/kgで、私は未だに新ジャガを食べていません。トマトは8グリヴナ/kg、キュウリが7グリヴナ/kgくらいで、私が買うのは4グリヴナ/kgのキャベツや、3グリヴナ/kgのカバチキ(辞書を見ると「ナタウリ」とあります。日本でズッキーニと呼ばれるものに近いようなのですが、私はズッキーニなるものを食べたことがありません)程度です。1ドル=5.02グリヴナ前後。


最高会議選挙実施についての合意成立

この間の最高会議選挙問題のごたごたについては、日本でも報道があったと思いますので、省略させていただきます。

527日、大統領・首相・最高会議議長の間で、930日に最高会議選挙を行うという合意が成立、その後最高会議で、この解散・選挙に向けて必要な法律複数を承認するという申し合わせになっていたものの、実際には議事がはかばかしく進行せず、ユシェンコ氏は上記の日程で選挙を行うという新たな大統領令を発しましたが、今なお事態は流動的です。ともあれ、独立広場の一部をずっと占拠? していた政府与党各党のテントは撤去され、久し振りに一応の平穏さが戻りました。


画家Aさんとの出会い

この合意直前の26日に、まだテントの残っていた独立広場で、私は画家のAさんとそのマネージャーGさんに会い、近くのカフェでジュースを飲み、Aさんの作品アルバムと油彩2点を見せてもらいました。キエフで造形美術を生業としている人に会うのは、私の日本語教師時代の学生の1人で、以前名古屋に留学したことのあるMさんのお父さんや伯父さん以来ですが、このAさんと私が会うことになったのは、またしても友人Y君の仲介によるものです。

Aさんの作品は東京の某ギャラリーにまとまったコレクションがあり、ギャラリーのオーナーの招待で彼女は日本(東京と京都)を訪れたとのこと。いつのことか聞きませんでしたが、お話し振りからすれば、それほど以前のことではなさそうです。


画家Aさんの作風・題材

Aさんの作風は、擬古典主義というのか、ルネサンスからバロック時代のヨーロッパ絵画のスタイルに現代のセンスを加味したもので、確かに、日本のある種の美術愛好家には受けるのではないかと想像します。

題材は人物画が多く、それも歴史上の人物(マキァヴェッリ、アッシジの聖フランチェスコ)や神話・文学作品中のキャラクター(バッカス、ハムレット)などをモチーフとしたものが主なようです。


『源氏物語』から感銘を受けて

Aさんは少女時代に『源氏物語』のロシア語訳を読んで感銘を受け、その後も2度通読されたそうで、現在『源氏物語』をテーマとした連作の構想があり、そのため日本人の顔立ちを実物で研究したい・・・という話を彼女から聞いたY君が、私を紹介した、というわけです。元古文の教師で、現在地方都市の図書館で「源氏を読む会」のチューターをやっている私の父親が聞いたら、どんな顔をするでしょうか。

とはいっても、Aさんに確認したところ、彼女のスタイルは写実的ではあるものの、モデルをそのまま忠実に描くわけではなく、作画の過程でアレンジが加えられるのだそうです。

私の場合も、12時間アトリエでスケッチさせてくれれば、それが彼女の想像力(創造力?)をふくらませるための材料となるので、モデルとして長時間を割いてもらう必要はない・・・とのことでした。いずれにせよ、彼女は夏場をクリミアの人気(ひとけ)のない海岸で息子さんと過ごす予定で、私が彼女のアトリエに行くとしても、それは9月に入ってからの話になるでしょう。Aさんの作品の一部は

http://www.mln-gallery.kiev.ua/painter/Akasy/

 で見られます。ただし、ここに出ている彼女の写真は、現在の外見とはちょっと違いますけれど。

Aさんは少女時代、ピオネール(共産少年団員)ついでコムソモール(共産青年同盟)員だったそうで、真面目な優等生だったのでしょうが、芸術上の志向はソ連におけるメイン・ストリームであった社会主義リアリズムと相容れず、古典作品の画法を独学で研究し会得したという話でした。


興味深く読めるアンドルホーヴィチの『秘密 小説の代わりに』

4月だったと思いますが、以前にも本欄で紹介した作家アンドルホーヴィチの『秘密 小説の代わりに』が出ました。彼は5作目になる長編小説の発表を予告していたのですが、その代わりに、ということで、ドイツ人のインタヴュアーによる長時間インタヴューの一挙刊行、という体裁の自伝的おしゃべりを本にしたものです。

エゴン・アルトなるインタヴュアー(インタヴューの後、交通事故で急死した、と書かれていますが)が実在したかどうかは、まあ、読めば誰にでもわかると思うのですが、要するに単なる1人称の半生記にするのでなく、漫才的掛け合いを含めた「芸」として作品化されていると考えるべきで、この仕掛けはそれなりに効いているといえるでしょう。

1960年、ウクライナ西方のイヴァノ‐フランキウスクに生まれた彼の少年時代、学生時代、結婚、兵役、印刷所で働きながら詩を書き、ソ連崩壊の直前モスクワに滞在して小説を書き始める・・・というあたりまで読みましたが、61年生まれの私にとって純然たる同時代人といえるこの人の話はけっこう面白く、さらさらと読めます。

70年代半ば、毎週日曜正午に、ルーマニアの国外向けラジオの果敢なDJ(のちに、スタジオに爆弾を仕掛けられて殺された)が次々にかけるピンク・フロイドだのユーライア・ヒープだのを固唾を呑んで聴いていた、という話、順不同ですが、「プラハの春」抑圧のためソ連軍の戦車隊が出動していった時、駅のプラットフォームである兵士に妻がしがみついて泣き叫び、それを振り放して列車に乗った夫が車両の窓から顔を出すと、妻は号泣の合い間に突然、「イヴァーシャ、聞いてる?! プラハに着いたら、私にいい靴を買ってね! サイズは38よ!」と声をかけた、という話、などなど。


探し当て、日本語にしてみたい『愛読書』

 やはり本欄でときどき言及している指揮者コフマンの回想録『虚無の書』は、かつて某紙に不定期に掲載されており、私は愛読していました。その後出版されたという報道を読み、ずっと探していたのですが、どこにも見当たりません。それで、彼が指揮科の教授をしているキエフ音楽院の図書館にならあるはずと思い、同院に留学中の日本人ソプラノTさんにお願いしてコピーしてもらい、3年前に出たこの本のテクストを私はやっと手に取ることができました。

見つからないのも道理で、奥付によれば、信じられないことに500部しか印刷されなかったようです。(ちなみに、『秘密』の初刷りは5,000部。)この本ではまた別種の「芸」(トルストイ・レーニン・著者の父の「対話」を含む)が楽しめ、別の時代(コフマン氏は1936年生まれ)を生きた人の、世界に対する別の態度が感じられます。私は、時間があれば、この『虚無の書』を日本語にしてみたいのですが、うまくいくかどうか。


『レオナルド博士とその(のち)の想い人たる麗しのアルチェスタの、スロボジャンシチナのスイスの旅』の紹介

さて、前回ご紹介したヨハンセンの『レオナルド博士とその(のち)の想い人たる麗しのアルチェスタの、スロボジャンシチナのスイスの旅』ですが、1930年に単行本で発表された際のテクストは一応読み終えました(そんなに長いものではありません)。というのは、32年に別の選集に収められた折には、上記テクストの第1部・第2部に加え、さらに第3部が付け足されているからです。第3部もやはりトロント大学のネット上ウクライナ文学ライブラリーで読めます。

1部・第2部だけの感想でいうと、私好みの何とも言いようのないヘンさ加減で、このまま第3部に手を伸ばそうと思わせてくれる内容ですが、現代日本の読者で、この瓢々と奇妙なユーモアを愉しんでくれる人がはたしてどれほどいるものでしょうか。

興味を持たれる方が少なくないようであれば、いつかそのうちご紹介したいものですが。もっとも、ウクライナ文学そのものの紹介が日本ではほぼ皆無に近い状況下で、いきなりこういう作物を読者に提供するのもいかがなものかという気がしないでもありません。

なお、前回作者ヨハンセンの生年を1895年・1896年の二様に書いてしまいましたが、ネットの情報ではこの二通りがあるようです。またよく調べてみます。なお、やはり前回に書きましたが、吉田松陰の命日が1027日というのは、日本のいわゆる旧暦による日付なので、ヨハンセンのそれと厳密に一致するものではありません。念のため。それじゃまた。(2007年66)

竹内高明(キエフ在住)

デザイン&入力:Ryuichi Shimizu /Yoshiko Iwaya/Yumi Kusuyama /Hiroshi Hamasaki/Kayoko Ikeda/Takumi Kohei/Yui Kuwahara/Chihiro Fujishima■監修:Hiroshi Dewa

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