No.33




キナハ氏の「寝返り」に勢いを得た与党連合

キエフでも暖冬の終わりと春の初めのけじめがつかないまま、次第に樹々の芽が膨らんでおり、そのうちいっせいに緑が吹いてくるのでしょう。

ウクライナでは現在の連立内閣与党(地域党、社会党、共産党)と野党(大統領の支持母体である政党連合「我らのウクライナ」、ティモシェンコ氏の率いる「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」)の対立が延々と続いており、3月下旬になって、「我らのウクライナ」に所属していた「ウクライナ実業家・企業主連盟」代表のキナハ氏は政権与党連合との協力覚書に署名、経済相に抜擢されました。

クチマ前大統領時代に首相その他の要職を務めているキナハ氏の「寝返り」は、さほど意外とはみなされていないものの、これに勢いを得た与党連合は、残る野党の議員たちに「一本釣り」攻勢をかけており、これまでの通称「危機対抗連合」を「国民団結連合」と変え、総勢260名となった議員数を、大統領の拒否権をくつがえせる300名にまで至らせようと意気盛んですが、そう簡単には問屋がおろさないだろうというのが各メディアの一致した意見です。ちなみに、外相には結局大統領府第一副長官で33歳のヤツェニューク氏が着任しました。この人は外交畑の出身ではなく、本来エコノミストだそうですが。


政府与党と司法の新たな癒着

一方、前内務大臣でオレンジ革命の立役者の一人だったルツェンコ氏は、議会外で「国民自衛」なる組織を発足させ、各地で集会を開き、現政権を批判して「正義の行進」を行おうと呼びかけていましたが、3月17日、「国民自衛」の下部組織である「犯罪拒否の選択」のオフィスが入っている集合住宅の地下で、TNT火薬や機関銃を含む大量の銃器が発見され、20日にはルツェンコ氏の家宅捜索が行われました。

「オレンジ革命」の前、ユシェンコ陣営を支持していた青年組織「ポラー(時機到来)」のメンバーのアパートで武器が発見された冤罪事件がすぐに想起されますが、一昨年2発の銃弾を頭蓋に残して発見されたクラフチェンコ元内務相の死因は自殺だった(1発目を撃った後も意識はあった!)とする最高検察庁の見解が19日に発表されるなど、国の司法と政府与党の新たな癒着の兆候が不穏な雰囲気をかもしだしています。


多くの名画を収録した海賊版DVDを楽しむ

さて、2月のある日曜、午前中に人と会う用事をすませた後、私はごく久し振りに、市内の「本の市場」に行ってみる気になりました。というのは、友人Y君が貸してくれた海賊版DVDにイタリアのマリオ・バーヴァ監督の作品7本が入っているものがあり、これなら他の著名監督の旧作がまとめて収録されたものも出回っているのではと期待したからです。

以前、歩道や地下道で多く見かけた、ヴィデオやコンピュータCDの海賊版映画ソフトの屋台は、取り締まりが厳しくなったらしくほとんど見当たらなくなりました。

海賊版でないソフトを置いている店では、DVDの値段が徐々に下がってはきたものの、まだ40〜80グリヴナはしますから、私はこれまでDVDを1枚も購入していませんでした。で、長らくおいとましていた「本の市場」に足を踏み入れると、期待にたがわず、1枚に6本や8本の名画を収めた海賊版DVDが、25グリヴナで売られているではありませんか。私はせっせと歩き回ったあげく、ベルイマン監督(ロシア語やウクライナ語表記では「ベルグマン」)の50・60年代の有名作が8本入ったものを購入、その後2週間ほどかけてちびちびと楽しみました。スウェーデン語のせりふの上に、ロシア語の訳を男性一人があまり抑揚をつけず早口で読む声がかぶさっており、2ヶ国語切り替えなどという選択肢はありませんが、いずれにせよ私にはスウェーデン語はわかりません。


待ち遠しいムラードヴァの新作の一般公開

そして2週間後、再度「本の市場」に行くと、多少品揃えが変わっており、キーラ・ムラートヴァ(1934年、当時ルーマニア、現在モルドヴァのソロキ生まれ。60年代からオデッサの国営スタジオで撮り続けている)の作品6本を含むDVDがありました。

2003年、ムラートヴァの映画がまとめてヴィデオ化・販売され(海賊版ではなく)、私は3本を購入しましたが、やがてそれらは店頭からほとんど姿を消しました。彼女の映画は、タルコフスキーやパラジャーノフの作品同様、他の監督とは一見して異なる個性を持ったもので、現在のウクライナ映画界でも突出または孤立しており、1作ごとに各メディアで丹念な批評の対象になります。

3月下旬、新作『2つで1つ』(短めの映画2本を合わせて1本にしてあるということです)が、ロシアの国際映画祭NIKAでCIS諸国最優秀映画賞を得たというニュースがありました。キエフでの一般公開はまだですが、ぜひ映画館のスクリーンで観たいものと私は胸を高鳴らせています。


感銘を与えるシルヴェストロンの音楽

3月8日には、若い友人たちのつてで、レフ・トルストイ広場のそば、プーシキン通りにあるウクライナ作曲家連盟のみすぼらしい建物で行われたヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937年キエフ生まれ)の非公開連続講演の最終回に参加することができました。彼の作品のCDは、ドイツやオーストリアで製作されており、日本でも入手はさほど難しくありません。

近作の歌曲やピアノ曲の録音をかけながら、司会者や会場の若い人(おそらく、音楽院作曲科の学生などでしょう)の質問にきわめて誠実に答えている、古風な分厚い眼鏡をかけた作曲家の姿と、どう考えても聴衆受けをねらっているとは思えない、静かな、あまりにも静かな彼の音楽は、休憩なし3時間半の緊張に値する感銘を与えるものでした。

ムラートヴァの前作『調律師』(2004年)には、シルヴェストロフがすばらしい音楽をつけています。キエフでは、新作の交響曲の初演などを除くと、彼の作品はあまり聴くチャンスがなく、コフマン指揮キエフ室内管弦楽団のコンサートで、弦楽のためのディヴェルティメントが取り上げられたのを覚えているくらいです。 ついでに書くと、現在ボン・フィルハーモニーとショスタコーヴィチの全交響曲の録音を進めているコフマン氏は、昨年からウクライナ交響楽団とのベートーヴェン全交響曲のコンサート・ツィクルスを行っており、3月中に3・6・7・8・9番が演奏されるのですが、私は仕事の関係でそのどれも聴けないのがとても残念です。

銃殺されたマイク・ヨハンセンのよみごたえのある本

もう一つ、本の話を書きます。たしか昨年、某週刊紙で、インターネット上のウクライナ文学ライブラリーに関する記事の中にトロント大学のサイトが紹介されており、そこでマイク・ヨハンセン(1896‐1937)の『レオナルド博士とその後の想い人たる麗しのアルチェスタの、スロボジャンシチナのスイスの旅』なる珍品(?)も読めるとありました。「スロボジャンシチナ」というのは、「ロシアとの国境に近いウクライナ南東の地方」と辞書にあり、「○○のスイス」というのは、「○○においてスイスを思わせる風光明媚な場所」を形容する言い回しで、「日本のチベット」などというような、チベットに対しても日本の一地方に対しても差別的な表現とは逆のものです。こういう名前の作家のこういう題名の作品が面白くないはずはないというのが私の勘で、ダウンロードしぼちぼちと読んでいますが、今のところ期待は裏切られていません。

作者は1895年、ハリコフにラトヴィア出身(一説によれば、スウェーデンまたはノルウェー出身)のドイツ語教師を父として生まれ(母についての記述は、私の見つけた簡略な資料には欠如しています)、1937年10月27日銃殺されています。10月27日に死刑になった人は、私の知る限りもう一人おり、それは吉田松陰です。全然関係ありませんが。どうしてそういうことを覚えているかというと、この日が私の生まれた日だからです。それはともかく、スペインの圧制に抵抗する闘士ドン・ホセ・ペレイラが、死を決した行為を前に友犬ロドルフォと最後の猟に出で立ち、ウクライナ南部のステップで(どうしてウクライナなのかの説明は省きます)夏の日射しを受けながら歩くうち、いつしか現地の地区執行委員会委員ダーニコ・ハルィトノヴィチ・ペレルヴァに「変身」してしまう、というわけのわからない始まり方をするこの小説は、わけのわからない小説が好きな方にはおそらく喜ばれるだろうと思います。通読後にまた感想をお知らせします。(2007年3月27日)
                                       竹内高明(キエフ在住)