No.31




年の瀬のキエフ

 キエフではその後もプラスの気温が続き、記録的な暖冬といわれています。12月25日に少し雪が降り、26日に日中零下5℃くらいまで冷え込んだのが唯一の例外でした。それでも都心の広場には、昨年同様巨大なツリーが立ち、夕刻には色とりどりのネオンの飾り付けもメイン・ストリートを照らしています。

公共料金値上げをめぐって

 キエフの公共料金については、12月1日から上下水道については3.4倍、暖房については2.8倍に上げるとされていたのを、それぞれ11%ずつ下げるという市行政の布告が26日に出ました。だからどうなんだ、と言いたくなる下げ幅ではありますが、この間、市議会での議員たちのつかみ合いで野党の一議員を脳震盪に至らしめたこの争点を、いくぶんなりともやわらげようとの試みではあるのでしょう。

 実物は見ていませんが、某誌を見ると、街角で「チェルノヴェツキー市長にあなたの一言を」との意見書受付コーナーができ、そのかたわらに立つ等身大の市長の写真が、「私についてのあなたのお考えをお書き下さい。何をか言わんや、とお思いの方は……唾棄をどうぞ!」と記された紙を持っており、その足元にはバケツが置いてある、という報道がありました。

 この値上げが実施され、1月に請求書が来たとして、どれだけの人が実際に支払うのかは、今から疑問に付されています。口座引き落としというようなサーヴィスがあるのかどうか、私は正確には知りません。あるのではないかとは思いますが。一般家庭の場合、毎月公共料金の請求書が郵便受けに入っています。

 ちなみに、私が住んでいる、フルシチョフ時代に建てられた古い集合住宅では、電気以外の水道・ガス・集中暖房に関してメーターはなく、アパートの面積とそこに住所登録されている人数によって機械的に請求金額が計算されます。

 12月中にも、一時的に温水と冷水の両者が出なくなったり、温水だけ出なくなったりということは何度もありました。公共サーヴィスを向上させるための料金値上げというふれこみなのですが、向上させる前にまず先立つものが必要、という理屈に素直に納得する市民は多くはなさそうです。

閣僚人事をめぐる大統領と首相の対立

 国政に関して言えば、日本でも報道されていると思いますが、この間大統領と首相の対立が閣僚人事の面であらわになっており、大統領派の「我らのウクライナ」所属の大臣らが自ら野に下った後、オレンジ革命の立役者の一人だった社会党所属の内相ルツェンコ氏は最高会議の決議で辞任。

 現行憲法では大統領に任命権のある外相のタラシュク氏に対しても同じ議案が採択されたものの、キエフ市ペチェルスク地区裁判所ではこの決議が無効との判決を下し、その判決文を持って閣議に出席しようとしたタラシュク氏が、これまで2度にわたって閣議室への入室を拒まれ、3度目の閣議には自主欠席?(大統領との会談中との理由で)という事態は、またしてもTVのニュース番組を連続ドラマと錯覚させかねない不条理の印象をもたらしています。

 そうして年の瀬がせまる頃、別々の知人からお誘いがあり、二晩続けて久し振りにお出かけをしました。

ユダヤ人問題をとりあげた二つの劇

23日に観たのは、国立イヴァン・フランコ劇場で、一時は文化大臣を務めたこともある著名なボグダン・ストゥープカ氏が主役を演じる芝居。ショーロム・アレイフム(1859-1916)というユダヤ人作家の書いた、日本では『屋根の上のヴァイオリン弾き』として知られるミュージカルの原作にあたるものです。(私は日本版のそれを観ていませんので、残念ながら比較はできません。)この晩がたまたま初演から17年目ということで、ストゥープカ氏の当たり役のひとつのようです。

 たしかに長時間を飽きさせず、安心して観させるだけの面白さはありましたが、ストゥープカ氏の演じるテヴィエ親父は、フラット・キャラクターというか、筋の流れに応じて性格がより深く掘り出されてくるという演出ではありませんでした。それがどれだけ戯曲自体の出来具合によるものなのか、一度観ただけなのでなんとも言えませんが。

 終わりに近く、ユダヤ人たちが村を追い出されることが決まって、アメリカに行くという老人が「わしらのいない所はいい所」[となりの芝生は青く見える、に近い?]という諺を口にして、「だけど今は、どこに行ってもわしら[ユダヤ人]がいるじゃないか!」と言う場面は、なんとも、笑いの苦い後味が残るものでした。

 これを書きながら思い出しましたが、今年私がもう一つだけ(夏に東京で)観た芝居、『詩人の恋』も、全く偶然ながらユダヤ人問題を扱ったものでした。こちらは、アメリカ人がウィーンを舞台にして書いた、声楽教師の戦中の過去についてのなかなか凝った作りの話でしたが……ウクライナとは関係ありません。

若いミュージシャンのライヴに誘われて

 24日に、ギャラリーや小劇場の並ぶ、アンドレイ教会下のアンドレイ坂近くの店(日本で言えば、ライヴハウスみたいなところでしょう)で観たのは、リヴィウの若きパンク(というべきかどうか自信がありませんが)・ミュージシャン、ヴァスィーリ・ヴァスィーリツェウのライヴ・パフォーマンスでした。

 これに私を誘ったのは、年の頃は30代初め、映画や文学に通じており、パラジャーノフの映画にならなかったシナリオ集、バローズ『裸のランチ』のロシア語訳本、イタリアのB級映画の名監督マリオ・バーヴァのDVDなどを次々に私に勧めてくれるY君です(三池崇史監督作品のロシア語版ヴィデオなども、以前貸してくれました)。16日、チェルノブイリ原発4号炉上の石棺の屋根を開け、いくつかの梁を交換する補強工事が行われましたが、その後18日、インターネットで「キエフの放射線量が普段の2倍に達している」というデマが流れた時、最初に私に教えてくれたのも彼でした。

 ライヴのチケットは50グリヴナ。1ドル=5.05グリヴナ程度のレートです。黒のスーツに身を包み、姿勢正しくベース・ギターを手にし、明るい笑顔をふりまきながら、無邪気な明るい声をひびかせ、突拍子もない歌詞の歌をウクライナ語で、あるいはいきなり超正統派のラヴ・ソングを英語でうたう、たしか21歳のヴァスィーリツェウに惜しみなく拍手を送っていたのは、おおよそ20代ないし30代と見受けられる若者たちでしたが、それなりに屈折した美意識の持ち主というか、世間一般のポップスやロックでは満足できないたぐいの聴衆でしょう。

ウクライナの歌手ルスラーナに捧げた歌

 2度もリクエストを受けた、彼のヒット・ソング(?)と思われる曲は、2004年のヨーロッパ歌合戦、ユーロ・ヴィジョンで優勝したウクライナの歌手、ルスラーナに捧げたもので(そういえばこのルスラーナさん、オレンジ革命時には革命を支持して独立広場のステージに立ち、今では最高会議の議員のはずですが、議会ネタのニュースの画面でお目にかかったためしがありません)、「ありがとう、ルスラーナ、おかげでヨーロッパはウクライナを発見したよ!」とのんびりした声でうたう部分と、突然アップ・テンポで跳びはねる部分が交代する歌です。

ヴァスィーリツェウの最初のヴィデオ・クリップの収録

 休憩時、Y君の友人たちと私が座っていた奥のテーブルのそば、つい立ての中でヴァシーリツェウ氏が紅茶を飲んでいたので(パフォーマンス中も、彼はスピーカーの上に置いたカップから、紅茶をちびちび飲っていました)、Y君は突撃インタヴューを試み、ヴァシーリツェウ氏はいんぎんに応対していました。

 後でY君に聞いた所では、氏の好きな本はハリー・ポッター・シリーズ、好きな歌手はブリットニー・スピアーズという答えだったそうです。自身のイメージ作りについて、きわめて意識的な人であると思われます(Y君は、「彼は本気でそう言ってるんですよ!」という意見でした。まあ、その方が、話がより面白くなるというのはわかりますが……)。

 この人のサイトからは、これまでに作られた楽曲がすべてダウンロードできるとのこと。すでに4枚だったかのインディーズCDがリリースされているそうですが、ベスト・アルバムも受付そばのテーブルで売られていて、それを購入したY君は即座にヴァスィーリツェウ氏のサインをもらっていました。この晩には、彼の最初のヴィデオ・クリップも収録されるということで、カメラが2つほどあちこちしていましたから、ひょっとするとクリップの隅っこに、場違いな東洋人のおじさんの顔が紛れ込むことになるのかもしれません。(2006年12月28日)
                                       竹内高明(キエフ在住)