『キエフからの手紙』をめぐって
この「ジュノーの会」の仕事をしていた間、私宅から放射線医学センターまで毎日地下鉄で30分以上の距離を行き来しており、朝にはかなり混む時間帯でもあったので、2001年に買ってぱらぱらと目を通していただけの薄めの本(ソロミヤ・パヴルィチコ『キエフからの手紙』)を鞄に入れておき、都心を過ぎて乗客が減ったところで取り出して読むというのを繰り返していると、行間に余裕のあるレイアウトなので、けっこうすらすらとページが進み、本文150ページのうち25ページを残すばかりになりました。
この本は、90年5月12日から91年4月2日までのキエフの情勢を、ウクライナの文学研究者パヴルィチコがカナダの友人にあてて(ウクライナ語で)書き送ったもので、92年に英訳がニュー・ヨークで出版され、ウクライナでは彼女の死後2000年になって初めて上梓されています。
私の書架にある、キエフ政治研究・紛争学センターが2001年に出した『現代ウクライナ編年史』の始まりは1993年1月なので、ソ連末期のウクライナについての記録としては、私が持っている唯一の本ですが、論旨明快、簡潔な描写の細部が面白く、参考になります。
特に90年10月の10月革命広場(現在の独立広場)での学生たちのハンストによる抗議行動とその勝利に至るまでの経過の描写は、その14年後に同じ場所で私が目撃した出来事と対照して、感慨深いものがあります。2000年10月、10年前の事件を回顧しつつ、出版されたばかりのパヴルィチコの本を紹介した作家オクサーナ・ザブシコの文章は、その後彼女が新聞に書いた他の記事と合わせて『2000年からの報告』という本(2001年刊)に入っており、これも私の本棚で横になっています。「『キエフからの手紙』は、あの時代の唯一の生きたドキュメントとして残るのではないかと思われる。
記憶することは、やはり巨大な努力を必要とするのであり、何よりも『自らに対する誠実さ』の要求される作業である。それは、勇気ある証言と同じように、誰にでも力の及ぶことではない……」とザブシコは書いています。
しばらく前、彼女の「オレンジ革命」に関する発言を集めた本(『Let my people go』)が出ました。私は、買おうかどうしようかと二の足を踏んでいたのですが、先の文を読み返して、ザブシコが「革命」をどう記録し、どう評価しているか、見てみようかなという気になりました。まあ、時間ができれば、ですが。
モーツァルト生誕250周年記念コンサート
「ジュノーの会」の仕事が始まる直前の5月29日には、フィルハーモニー・ホールで、現在ボン・フィルハーモニーの指揮者であるロマン・コフマンとキエフ室内管弦楽団のコンサートがあり、モーツァルト生誕250周年記念ということで、最後のピアノ・コンチェルト(K.595)とシンフォニー(K.551)の2曲という短い、しかし豪華なプログラムでした。
コンチェルトの独奏者はユーリイ・コートという人で、情感のある、しかしべたつかない、よい演奏でした。
「ジュピター交響曲」の演奏後、「文化大臣からの贈呈」というアナウンスとともに、大きな花束がステージ上に届けられ、盛んな拍手の後、コフマン氏は「文化大臣のためにフィナーレを(もう一度)」と前置きして聴衆を笑わせた後、第4楽章をアンコールとして演奏。その後にもいっそう盛んな拍手を浴びていましたが、私の左に坐っていた年配の紳士は、拍手を続けている私に向かって、「何かね、拍手し続けて、全曲演奏し直させるとでもいうのかね?」とひとこと。
結局それ以上のアンコールはありませんでした。キエフ室内管弦楽団の第1ヴァイオリンには、いつからか正確に覚えていませんが、東洋系のまだ若い女性がひとり加わっています。
しばらく前の週刊誌のインタヴューによれば、コフマン氏はボン・フィルハーモニーと、ショスタコーヴィチの交響曲全曲録音を行っているところだそうで、日本に帰った折にでも、輸入CDを置いている店で探してみようかと思います。キエフの店ではまず手に入らないので。
ナターリヤ・ロシコのCDを聞きつつ
その後しばらくして、都心で入った画像・音楽ソフトの店で、ナターリヤ・ロシコという1973年生まれの作曲家の作品集のCDを見つけました。
シレンコ指揮ウクライナ国立交響楽団の演奏で、交響曲第1番・第2番(それぞれ14分弱と11分弱、いずれも1楽章形式の短いもの)と、7つの楽章からなるオーケストラのための協奏曲が入っており、ウクライナの会社の製作ですが、英語表記で、輸出をめざしてるんでしょうか?
買って聞いてみると、きわめて耳になじみやすい「現代音楽」で、インターネットで調べてみたところ、黒海沿岸のヘルソン出身でキエフの国立音楽院ピアノ科と作曲科を出たロシコ氏は映画音楽も手がけており、武満やシュニトケ、ウクライナの現代作曲家として著名なシルヴェストロフなど、「現代のクラシック作曲家」の糊口の資はみな同じということでしょうか。
そう思って聞くと、心なしか、かなりにイメージ喚起力の強い作意が時折り感じられ、この一線を超えると俗受けの領域に入りそうなきわどさが感じられないでもありません。
しかし、丹念で繊細な作りの音が漂う中で急激に噴出する広大さの感情と、民俗音楽のかすかな(時には明らかな)影響は、ヤナーチェク、あるいはミニチュア版のブルックナー(というのは形容矛盾でしょうが)といった印象を与えます。ちょっと誉めすぎかな?
バルトークは、やっぱり、これとは違う世界の住人でしょう。ロシコ氏の交響曲第2番その他の作品は、昨年、オレンジ革命1周年の日に、ブリュッセルで上記の指揮者とオーケストラにより演奏されているそうです。(2006年6月7日・25日)
竹内高明(キエフ在住)