No.26




6月のキエフの気候

キエフは気温の上下が激しい5月が過ぎ、6月に入っても雨が多く、日中20℃を超えない日もあり、農作物への影響が懸念されています。
私は
530日から1週間ほど、広島の「ジュノーの会」の血液病派遣団のお手伝いをし、キエフのウクライナ医学アカデミー放射線医学センターの小児血液病セクションで、広島赤十字・原爆病院のH先生と同セクションの医師たちの、治療に関するディスカッションに同席する機会がありました。

ウクライナの保健プログラム

ウクライナでは、結核・腫瘍・エイズなどに関して国の保健プログラムがあり、それに基づいて国民に治療を保障するため、国が毎年入札を行い、業者を選定して医薬品の買い付けをするという制度があります。
例えば血液腫瘍の治療にあたっている医療施設は、やはり毎年国に申請をし、この制度によって国が購入した医薬品の配給を受けるのですが、今年、上記のセクションは、国の医薬品支給対象から外されてしまったとのこと。理由は、放射線医学センターがウクライナ医学アカデミー所属の施設であるため、アカデミーの予算でやりくりしろということなのだそうです。
 
小児血液病セクションにおける治療の実態

 しかし、アカデミーから同セクションに配分される医薬品予算は、患者
11日あたり78グリヴナ(1ドル=5.03グリヴナ前後)。したがって、実際の治療にあたっては、患者の保護者が実費を負担せざるを得ないということになります。
 たまたまザポロージェ州から、白血病の男の子が入院していましたが、この子の場合は州議会だかが治療費を負担しているのだということでした。 
 別の患児の親は、治療費の算段ができずある最高会議議員に陳情したところ、「それがどうした。私にも自分の子どもがいて、その面倒をみなきゃならんのだ」と一蹴された、と涙ながらに担当医に語ったそうです。

医療品支給制度の問題点

 国の保健プログラムに基づく医薬品の支給制度については以前から問題点が多々指摘されており、治療現場での需要にそぐわない薬品が大量に購入され、使われないまま使用期限が切れている、その逆に現場で必要とされている薬が購入されず不足している、といった問題が新聞で取り上げられています。
 前保健大臣であった人物は、結核プログラムの入札で、本来
115ドルの薬品を40ドルで国に買い上げさせ、差額をふところに入れていた、という説もあります。
 また、
B型・C型肝炎の検査試薬は、保健省と癒着しているウクライナの業者が納入を独占しているため、全国の血液センターが精度の低い試薬を使用せざるを得ず、そのため放射線医学センターでの小児白血病治療に際しても、8090%の患児が肝炎に感染してしまうという事実があるそうです。(ソ連時代と異なり献血者が減少、血液センターが売血に頼っていて、売血の供給者が貧困層に属するため、肝炎ウイルスの感染者であるケースが多いという事情も伴っています。)

「オレンジ革命」を支持する医師

 
「こういうことを期待してはいけませんが、ウクライナの偉い人の子どもが白血病にかかりでもすれば事態が改善されるでしょうか」とのH先生の発言に対し、セクションの医師たちの反応は「彼らとその家族は、何かあればすぐに外国で治療を受けるのだから、ウクライナ国内の医療水準のことなど考えていません」というものでした。ちなみに、この医師たちはみな積極的に「オレンジ革命」を支持し、仕事帰りに独立広場の集会に通っていた人たちです。
 一方、「革命」に対し批判的な態度をとっていたチェルニゴフ州の地区病院の院長は、やはり「ジュノーの会」の医療支援を受けているのですが、新しい地区行政長のもとで今年に入って救急車の新車が支給され、医薬品予算も
30%ほど増加した、と喜ばしそうに語っていました。とはいえ、新政権に対する厳しい見方は変わっていないようでしたが……

『キエフからの手紙』をめぐって

 この「ジュノーの会」の仕事をしていた間、私宅から放射線医学センターまで毎日地下鉄で
30分以上の距離を行き来しており、朝にはかなり混む時間帯でもあったので、2001年に買ってぱらぱらと目を通していただけの薄めの本(ソロミヤ・パヴルィチコ『キエフからの手紙』)を鞄に入れておき、都心を過ぎて乗客が減ったところで取り出して読むというのを繰り返していると、行間に余裕のあるレイアウトなので、けっこうすらすらとページが進み、本文150ページのうち25ページを残すばかりになりました。
 この本は、
90512日から9142日までのキエフの情勢を、ウクライナの文学研究者パヴルィチコがカナダの友人にあてて(ウクライナ語で)書き送ったもので、92年に英訳がニュー・ヨークで出版され、ウクライナでは彼女の死後2000年になって初めて上梓されています。
 私の書架にある、キエフ政治研究・紛争学センターが
2001年に出した『現代ウクライナ編年史』の始まりは19931月なので、ソ連末期のウクライナについての記録としては、私が持っている唯一の本ですが、論旨明快、簡潔な描写の細部が面白く、参考になります。
 特に
9010月の10月革命広場(現在の独立広場)での学生たちのハンストによる抗議行動とその勝利に至るまでの経過の描写は、その14年後に同じ場所で私が目撃した出来事と対照して、感慨深いものがあります。200010月、10年前の事件を回顧しつつ、出版されたばかりのパヴルィチコの本を紹介した作家オクサーナ・ザブシコの文章は、その後彼女が新聞に書いた他の記事と合わせて『2000年からの報告』という本(2001年刊)に入っており、これも私の本棚で横になっています。「『キエフからの手紙』は、あの時代の唯一の生きたドキュメントとして残るのではないかと思われる。
 記憶することは、やはり巨大な努力を必要とするのであり、何よりも『自らに対する誠実さ』の要求される作業である。それは、勇気ある証言と同じように、誰にでも力の及ぶことではない
……」とザブシコは書いています。
 しばらく前、彼女の「オレンジ革命」に関する発言を集めた本
(Let my people go)が出ました。私は、買おうかどうしようかと二の足を踏んでいたのですが、先の文を読み返して、ザブシコが「革命」をどう記録し、どう評価しているか、見てみようかなという気になりました。まあ、時間ができれば、ですが。

モーツルト生誕250周年記念コンサート

「ジュノーの会」の仕事が始まる直前の
529日には、フィルハーモニー・ホールで、現在ボン・フィルハーモニーの指揮者であるロマン・コフマンとキエフ室内管弦楽団のコンサートがあり、モーツァルト生誕250周年記念ということで、最後のピアノ・コンチェルト(K.595)とシンフォニー(K.551)2曲という短い、しかし豪華なプログラムでした。
 コンチェルトの独奏者はユーリイ・コートという人で、情感のある、しかしべたつかない、よい演奏でした。
 「ジュピター交響曲」の演奏後、「文化大臣からの贈呈」というアナウンスとともに、大きな花束がステージ上に届けられ、盛んな拍手の後、コフマン氏は「文化大臣のためにフィナーレを
(もう一度)」と前置きして聴衆を笑わせた後、第4楽章をアンコールとして演奏。その後にもいっそう盛んな拍手を浴びていましたが、私の左に坐っていた年配の紳士は、拍手を続けている私に向かって、「何かね、拍手し続けて、全曲演奏し直させるとでもいうのかね?」とひとこと。
 結局それ以上のアンコールはありませんでした。キエフ室内管弦楽団の第
1ヴァイオリンには、いつからか正確に覚えていませんが、東洋系のまだ若い女性がひとり加わっています。
 しばらく前の週刊誌のインタヴューによれば、コフマン氏はボン・フィルハーモニーと、ショスタコーヴィチの交響曲全曲録音を行っているところだそうで、日本に帰った折にでも、輸入
CDを置いている店で探してみようかと思います。キエフの店ではまず手に入らないので。

ナターリヤ・ロシコのCDを聞きつつ

その後しばらくして、都心で入った画像・音楽ソフトの店で、ナターリヤ・ロシコという1973年生まれの作曲家の作品集のCDを見つけました。
 シレンコ指揮ウクライナ国立交響楽団の演奏で、交響曲第
1番・第2(それぞれ14分弱と11分弱、いずれも1楽章形式の短いもの)と、7つの楽章からなるオーケストラのための協奏曲が入っており、ウクライナの会社の製作ですが、英語表記で、輸出をめざしてるんでしょうか? 
 買って聞いてみると、きわめて耳になじみやすい「現代音楽」で、インターネットで調べてみたところ、黒海沿岸のヘルソン出身でキエフの国立音楽院ピアノ科と作曲科を出たロシコ氏は映画音楽も手がけており、武満やシュニトケ、ウクライナの現代作曲家として著名なシルヴェストロフなど、「現代のクラシック作曲家」の糊口の資はみな同じということでしょうか。
 そう思って聞くと、心なしか、かなりにイメージ喚起力の強い作意が時折り感じられ、この一線を超えると俗受けの領域に入りそうなきわどさが感じられないでもありません。
 しかし、丹念で繊細な作りの音が漂う中で急激に噴出する広大さの感情と、民俗音楽のかすかな
(時には明らかな)影響は、ヤナーチェク、あるいはミニチュア版のブルックナー(というのは形容矛盾でしょうが)といった印象を与えます。ちょっと誉めすぎかな?
 バルトークは、やっぱり、これとは違う世界の住人でしょう。ロシコ氏の交響曲第
2番その他の作品は、昨年、オレンジ革命1周年の日に、ブリュッセルで上記の指揮者とオーケストラにより演奏されているそうです。(2006年67日・25)


                                       竹内高明(キエフ在住)