No.25




遅い春の訪れにスタディ・ツアーの到着


 春の訪れが遅かったウクライナでは、「チェルノブイリ救援・中部」の企画したスタディ・ツアーがキエフに到着した
424日でもまだ緑は浅く、一行がジトーミル市郊外で宿泊した森の中のサナトリウムでは、まだ集中暖房が入っており、しかし夜中にはそれが切れて、明け方はけっこう寒かったのですが、徐々に気温が上がり、集中暖房は入らなくなり、ツアーの参加者たちがフランクフルトに発った51日には、街路樹のカシタン(セイヨウトチノキ)の花芽が膨らみ始めていました。

TV番組・新聞にみられる取材の選択・加工の傾向

 このスタディ・ツアーには読売新聞の記者
2(東京本社科学部の記者と欧州支局写真部の記者)が参加しており、425日の非常事態省ジトーミル州支局前でのキャンドル・セレモニーの写真は、同紙の夕刊に掲載されたということですが、それまでにも私はいくつか日本のジャーナリズム関係者の問い合わせを受け、多少の取材協力をしました。
 ベラルーシでの大統領選挙の前後、同国の汚染地域の村に住み込んで取材、キノコや自家醸造のウォッカを飲食してきたという某紙の
T記者にも会って話をしました。それらの取材の結果をすべて目にしたわけではないのですが(特に、TV番組については、今のところ全く目にしていません)、どうもやはり、新聞には新聞の、TVにはTVの、物語作りの枠というものがあり、それに嵌まり込むような素材が選ばれ、それにふさわしく加工されるという傾向があるような気がしました。
 
新しい視点にたつ取材を目指して

 そういう枠を破るための取材を目指している記者もあるようでしたけれども。特に
TV取材の場合、被災者の健康障害が強調されるような視点の据え方が感じられましたが、たとえ健康を害していなくても、事故の影響を種々の形でこうむっている人々は当然多数存在するわけです。
 昨秋私がチェルノブイリ事故関連の取材のお手伝いをした、長野県の
Y記者からは、「チェルノブイリの事故の影響はまだまだ続いているのだ、とおどろおどろしく終わる形の報道が多く、自分も記事にそのようなことを書いてはいるのですが、『そういうことばかり』の内容では、納得しないものを感じます。なぜなのか考えています」という趣旨のメールをもらいました。

「放射線の危険性」の問題をめぐって

 私の考え
(正直なところ、よく考えるための時間があったわけでは全然ありません)を少し書きますと、「放射線の危険性」に問題の焦点を設定する見方は、「チェルノブイリ」という現象を矮小化するものではないかと思います。
 原子力の利用とそのもたらす物理的・社会的影響は、@科学技術と経済活動の発展による自然の改変の可能性の拡大、Aその意図しない結果の生む種々の問題、Bそれを無視あるいは否定しようとする資本・国・国際組織、C個々の地域の問題解決を求めることに端を発しつつ、問題の背後に共通して存在するシステムに対峙していく住民・市民の動き――という、近代をつらぬいて存在する図式の一典型です。
 「生き延びるための新しい世界観が必要。その世界観において主要な目的となるのは、便利さでも消費でもなく、強大な軍事力でも、地政学的利益でもなく、生命の大切さなのだ」というスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ氏の呼びかけは、問題の核心の少なくとも一部を言い当てたものでしょう。

「チェルノブイリ」への日本市民の関わり

 そして、たとえチェルノブイリ事故が起こっていなかったとしても、日本にある多数の原子力発電所は、過去・現在・そしてすでに未来にわたって人々の被曝をもたらし、彼らの健康に被害を与え、また環境を汚染しています。そのことに思いを致すのに、「チェルノブイリの威を借りる」のは、むしろ失礼ではないかという気もしないではありません。
 それではなぜ、「チェルノブイリ」に日本市民が関わるのか?
 資本と「先進国」の権益が世界規模で追求されることのもたらす歪み・ひずみを正すために、あるいは少なくとも正そうと努力するために、「生命の都合」で動く市民たちが手をつなぐことは、やはり必要であり、それが現代の世直しではないかと私は思います。
 国や「諸国益」の代表者である国際組織の枠内で生み出される思考形態は、「普通の人々」の生き方・考え方をもある程度束縛しており、また人々が自分であり続けるために必要とする要素の一つとしての「伝統」には、歴史の中で生じた対立と争いの伝統も含まれていますから、国を超えての市民のつながりが、それらによって阻害されることは往々にしてあります。

「生命の都合」から真の「国際交流」へ

 しかし、「生命の都合」を、国境をのりこえて通用させるためには、それらの障害を取り除く努力が必要になってくるでしょうし、そのような一つ一つの困難と苦労を経験するのがおそらく「国際交流」ということなのであって、異国の文化を珍しがり享受することや、「人間どこでも考えることは同じ」とあまりにも素早く納得することだけが国際化なのではないでしょう。

スタディ・ツアーの参加者による「交流の日」

 上記のスタディ・ツアーには、アメリカに住み看護師として働いている人、ロンドン在住の写真部記者、熱帯雨林問題に関心を持ちパプア・ニューギニアに旅したことのある人
(以上日本人)、台湾からキエフに留学してロシア語を勉強している学生などが参加しており、彼らに各国のエネルギー事情やウクライナの印象など聞いてみたいところでしたが、通訳の身としてそういう時間はあまりありませんでした。
 ツアー参加者の宿泊していたサナトリウム
(汚染地域住民の保養を主に行っている)で、「日ウ市民交流の日」という催しを行い、写真等の展示もしたのですが、そこに掲げたいくつかの書にウクライナ語の訳をつけるにあたっては、日本人たちとウクライナ人通訳(キエフ大学で日本語を教えつつ、大学院で日本とウクライナの昔話の比較研究をしている人)、台湾人学生が一緒に頭をひねりました。
 「耕不尽」という文句は、台湾人の
Pさんによれば、『ヴァーニャ伯父さん』のラストのやりとり(「ソーニャ、私はつらい! おお、どんなにつらいか、お前にわかったらなあ!」「仕方がないわ、生きていかなきゃ!」云々)に通じるものがあるんだそうです。
 「交流の日」では、キエフの「ウクライナ日本センター」
(キエフ工科大学内にあり、JICAが資材等支援している)の協力で、華道・書道・折り紙(以上、指導者はすべてウクライナ人)・伝統玩具のデモンストレーションも行われましたが、ツアー参加者が持参した文房具などの物品のチャリティ・バザーは、サナトリウム職員と保養中の婦人方の強い関心を惹き、短時間で完売。
 
ウクライナ青年の「現実主義」的発言

 ツアーの世話係として、ジトーミルで同行してくれた
30歳くらいの青年(ウクライナ人。母語はロシア語)は、オレンジ革命には否定的であり、ユシェンコ政権下の経済成長率低迷と最高会議議員の年金増額を批判してましたが、彼の批判は政治家一般に対するもののようでもあり、「議員たちは自らの利益を守ることだけを考え、国民の利益など無視している。代替エネルギーの開発など、石油の利権につながっている政治家たちが必ず妨げるだろう」とも口にしていました。この種の「現実主義」的発言がそれなりに説得感を持って聞こえるのも、残念ながら事実です。

事故20周年・ユシェンコ大統領の呼びかけ

 事故
20周年にあたってチェルノブイリを訪れたユシェンコ大統領は、「未来に顔を向けること」を呼びかけ、汚染地域の復興を提唱。「はっきり申し上げたい――チェルノブイリの夢から覚める時が来ています。苦痛と恐怖の20年を経た今、この地域は発展プロジェクトの対象となるべきです」と発言、新石棺と使用済み核燃料・核廃棄物貯蔵所の建設のほか、汚染地域内の保健、生態系の保護、植物・動物相の回復、土壌の浄化などの問題を扱う研究センターの創設を優先課題として挙げたそうです。過去20年間にウクライナが事故対策に費やした金額は150億ドルだとのこと。
(2006年52日・625)


                                       竹内高明(キエフ在住)