キエフから緊急続報
どこまで進む、ウクライナの民主化
11月21日の大統領選挙決選投票以降のウクライナの動向は、日本のマス
コミでも詳しく報道されているようですので、ここでその復習をすることは避け
ます。
日本の人たちは、自分たちがよくも知らなかったこの国のことをどうして突然
毎日聞かされなきゃいけないのかと疑問に思ってるんじゃないでしょうか。
ロシアと欧米が、選挙をきっかけに、ウクライナを舞台に勢力圏争いをしている
……というふうにとられているかもしれませんが、私としては、ことの本質は、
ウクライナがこの機会にどこまで民主化を進められるか、ということだと思って
います。
日本政府は中立の立場
在ウクライナ日本人の「連帯」意思表示
独立広場の集会で「ユ‐シェン‐コ!」の掛け声や、「自由に歯止めはきかない
(Свободу
не спинути)」「ぼくらは多いぞ、打ち負かされな
いぞ(Нас
багато, нас не подолати )」などのスロー
ガン(いずれも作者不明で広まった。もっとも、「自由に歯止めはきかない」のス
テッカーは、決選投票後わりとすぐにどこでも見かけるようになったので、おそ
らく事前に用意されていたのでしょう)がこだまするのを耳にすると、一瞬胸が熱
くなり、涙がうっすらにじむのを感じてしまいますが、すぐに自制が働き、「センチ
メンタルになってはいけない。それに、これは彼らの革命であって、私のじゃない」
という考えが起こります。
とはいえ、人々が平和に自発的に自らの意思を主張し、それによって解放感を
得ている場所に居合わせるのは、非常に気持ちがいいものです。私の友人、日
本人の日本語教師G君は、日本大使館のウクライナ人職員たち(大使によれば、
日本の立場は「中立」だそうですが、ウクライナ人職員の一部は、仕事帰りに都
心のテント村に立ち寄り、魔法瓶に入れてきたコーヒーなどの差し入れをしてい
るとか)と一緒に、独立広場で日の丸の小旗を振り、連帯の意思を表明してきた
そうです。
オレンジの意味
「麻薬注射」済み?
11月30日、ヤヌコーヴィチ氏の地元ドネツクでの同氏支援集会で、「身の危険を
避けキエフから逃れてきた」ヤヌコーヴィチ夫人がスピーチをし、「キエフではオレ
ンジ色の乱痴気騒ぎが起こっています!(中略)抗議行動の参加者に提供されて
いる防寒靴はアメリカ製だし、配られているオレンジは[麻薬を]『注射済み』のもの
(наколотые апельсины)。ひとつ取っては、すぐ次のに手が
出る!」という「名言」を吐き、ただちにあまたのジョークの種にされました。
5日日曜日に私がテント村のそばを歩いた時には、テント村をかこむ形で作られて
いる木の柵に「MADE
IN U.S.A」と書かれた防寒靴がさかさにひっかけてあり、「ア
メリカ製防寒靴と麻薬入りオレンジの交換所」という張り紙もありましたし、「注射済
みだよ!」と言ってリンゴを配っているおばさんが通行人の笑いを誘っていました。
抗議の声
キエフに集まる人たち
『日々新聞(День)』12月1日号と『今週の鏡(Зеркало недели)
』11月27日号から、抗議行動参加者の声を紹介します。
「キエフに来ることに決めたのは、中央選挙委員会が決選投票の結果を発表した
日だった。まさにその時、一種の転機が生じて、国の無法状態に対する抗議の気
持ちが内側から起こってきたんだ。この中央選挙委員会の発表が、今の抗議行動
の参加者の大半をあきれかえらせ、憤慨させたんだよ。老いも若きも、官僚たちの
やってることに自分たちは反対だぞって、声を限りに主張するために、街に出てきた。
ウクライナ人がある意味で成熟したんだと言ってもいい。ウクライナ人は、従順さとい
うものが支配者をつけあがらせて、自国民の利益を無視するところまで行かせてし
まうっていうことを理解したんだ(後略)」
(ヤン・マリニフスキー、19歳学生、ジトーミル市)
「(前略)ヤヌコーヴィチを候補として推してる体制側って、この10年の間、自分ら
に何ができるか見せてくれなかったじゃないの。プーチンが[キエフ来訪時に出演
したTV番組で、ヤヌコーヴィチ氏の]賢明さとかについてしゃべってたけど……国
民が乞食同然の暮らしをしてるのに、賢明さも何もあったもんじゃないでしょうって
言ってやりたいわ。私たちは賢明な国民なのよ。そして強い大統領ってのにもう
嫌気がさしてるわけ。私は個人的には、賢明な大統領、賢明な指導者に登場して
ほしい」
(タチヤナ・イリューヒナ、53歳技師)
「(前略)キエフ市民や、よそからユシェンコを支持するためにやってきたみんなは、
自らを団結した国民と感じているし、市民の立場をとっている人たちだと思う。権力
には勝てるし、そうしなきゃならないと信じているんだ。抗議しなければ、やつらのし
でかしている犯罪のすべてを黙認することになる。闘わなきゃだめなんだ。誰もそう
やすやすとは権力を譲り渡さないよ(後略)」
(アンドレイ・ポリャシュク、オデッサ州)
「(前略)どうしてここに出てきたかって? 政府側のTV局の流した嘘に耐えられ
なかったからさ。田舎の人間も、町の住民も、学歴がどうだろうと、あんな嘘には耐
えられない。どうして国の研究所だのアカデミーだのが、分別も教養もあるはずの
人やその家族が、大統領府が、あんなことをやってられるのか、理解できんね。嘘
が重なってある一線を超えると、計算したのとは逆の役割を演じ始めるってことが、
どうしてわからないんだろうな(後略)」
(ミハイル・ユルキフ、教師歴21年、テルノーポリ州)
「(前略)わしはクチマがどうやって大統領になったのか知らんよ。クチマに投票し
たことは一度もないしな。ヤヌコーヴィチがどうやって首相になったのかなんてなお
さらだ。あいつらは国民からは遠いところにいるやつらだ。でも見てみなさい、賢い
人たちがどんなにたくさんいることか! 今日そういう人たちが、独立広場に何人い
ると思う?! わしは、ウクライナが自由で豊かになって、繁栄する日が来ることを信じ
てる。親父も爺さんも、そういうウクライナを望んでいたんだ。今わしらの暮らしは貧
相なもんだ。ユシェンコは、まともな暮らしができるようになるための、わしらの最後
のチャンスなんだ」
(ニコライ・グラトキー、50歳実業家、ハリコフ市)
「(前略)3歳の娘がいます。娘が、独立広場のようすをTVで見ると、いつも叫ぶん
です。『ママ! 見てごらん、お祭りだよ!』そう、ここで起こっているのは、実際お
祭りだと思います。自分自身を獲得する祝典です。勝利できるかって? どうかしら、
私は預言者じゃないから。でも勝利って何でしょう? ヴィクトル・ユシェンコの勝利?
……人々が街に出て、自らの立場を擁護するのを恐れなくなったこと、これはすでに
勝利です。ここで感じられる団結と信頼の精神、これがまさに勝利なんです」
(ヴァレーリヤ・キリスティジヤンツ、25歳心理学者、キエフ市)
ユシェンコ氏への期待と注文
独立系週刊紙『今週の鏡』12月4日号の副編集長ユーリヤ・モストヴァヤによる巻
頭記事は、「クチマ後」のウクライナ政界の見通しを分析、ユシェンコ氏の強みと弱み、
「我らのウクライナ」と他派閥の最高会議での妥協が不可避であることについて書き、
立ち上がった国民の希望を野党が裏切ることは許されないとしています。
さらに、ユシェンコ氏は権力の座についた後も公正な選挙・情報への自由なアプローチ・
体制内の指導者の公正な任命を社会に対し保証すべきだとクギを刺すすぐれた内容
のものです。
決選投票後2日経ってやっと自宅に帰ったモストヴァヤ氏が、2ヶ月の娘を抱きしめな
がら、「ユ‐シェン‐コ!」のシュプレヒコールのリズムで「し‐ずか‐に! し‐ずか‐に!
(Ти-ши-на!
Ти-ши-на!)」とささやいている自分に気づいて愕然とした、
というくだりは大いに笑わせます。「私自身は、『自由に歯止めはきかない!』や『ぼく
らは多いぞ、打ち負かせないぞ!』の方が、より性に合っているのだが」というオチで
すが、これには私も同感です。(12月6日〜7日)
2004.12.08 竹内高明(在キエフ)