7月初旬のキエフ
7月初めのキエフの天気は、気温30℃近くの暑い日と、20数℃の涼しい日とが入れ替わり、雨もぱらついて安定しません。
市場では苺やさくらんぼ(日本で売っているような色のと、セザンヌの静物画に描かれているような濃い赤紫のものがあります)の季節が終わりつつあり、新じゃがやトマト、キュウリも、はしりの季節に比べてだいぶ安くなってきました。
ある洗礼式に立ち会うことに
先日、私が前に結婚式の証人を務めたY君が、友人の娘の洗礼式の代父(と辞書にはあります。英語ならゴッド・ファーザー。名付け親ともいう)役を頼まれたというので、式に立ち会う気はないかと尋ねられました。信仰のない私は、「無関係者(?)が興味本位で同席していると思い、不快に感じる人はいないだろうか」と聞きましたが、「そんなことを考える人はいない。式の後には祝いの席があり、それにも遠慮なく参加すればいい」と言われ、Y君と一緒に会場の教会に行くことにしました。
ウクライナ正教の洗礼式
名づけ子に対する責任
洗礼を受けたのは1歳8ヶ月のエリザヴェータ(リーザ)さんで、彼女が両親と住んでいるアパートはキエフ市の南のはずれあたりにあり、新しい小さな教会がそのすぐ近くの公園様の緑地内に建っており、両親と父方・母方の祖父母、両親の友人らあわせて十数名が参加しての式でした。
教会はウクライナ正教(モスクワを総本山と認めるロシア正教とは異なる。たしか2つの分派がありますが、そのどちらに属するのかは聞きそびれました)のもので、そこの神父は最高会議議員だとかいうことでしたが、教会の利益を立法の府で守っているのでしょうか。もっともこの日、リーザに洗礼を授けたのは別の神父だった由。
儀式の言葉はウクライナ語で、私には残念ながらあまりわかりませんでしたが、代父・代母が名づけ子に対して持つ責任は大変重いものだそうです。両親に万一のことがあった場合、子どもの世話一切を引き受ける、という意味合いが過去には強かったのかもしれません。
緊張したY君のシャツの背中には次第に汗のしみがにじんできました。もっとも式そのものは、20分ほどもかからなかったでしょうか。神父が聖水を筆に含ませ、祈りの言葉を唱えながら子どもの手足や鼻、耳などを浄めるというのが儀式の核心的部分と見え、リーザはいやがってちょっと泣きましたが、そのほかにはとどこおりなく式は終わりました。
代父・代母の縁
ちなみに、現在のウクライナの内閣には、ユシェンコ大統領とこの代父・代母関係がある(つまり大統領の子どもの代父・代母だったり、大統領が彼らの子どもの代父だったりする)閣僚が何人かおり、縁故による引き立てという批判もあります。
洗礼によってキリスト教信者に
洗礼式後の祝宴
Y君は30歳くらいですが、彼も洗礼を受けているとのこと。別の友人Nさんからは娘に洗礼を受けさせるに先立って、母である彼女も洗礼を受けなければならなかったと聞いたことがあります。
洗礼を受ける年齢に決まりはなく、これによってキリスト教信者の一員としてむかえられるということになるのだそうです。
教会から歩いて5分ほどのところにカフェがあり、戸外に置かれたそこのテーブルを借り、シャシルィク(串に刺し炭火で焼いた肉。中央アジア由来の料理)と生ビールを注文しただけで、その他の飲み物やつまみのたぐいはすべて持ち込みの祝宴が行われました。
私は、以前プリピャチからの移住者の団体のクリスマス・パーティのゲームの賞品でもらったカバとブタのぬいぐるみ(ドイツの人から支援物資の一部として提供された、という話でした)をお祝いにあげましたが、この日のヒロインに気に入ってもらえたかどうかはわかりません。
代母の夫君は気さくな人で、私にせっせとコニャック(とこちらでは言われますが、フランスのコニャック地方とは何の関係もないウクライナ製ブランディ)を注いでくれました。あとで聞いたところでは、この人は某携帯電話会社のコマーシャル・クリップを撮影した監督だそうです。
チェルノブイリ原発訪問
東京の『チェルノブイリ子ども基金』の縁
その後、6月下旬には、再び日本のTV会社の撮影クルーとチェルノブイリ原発に行き、原発のごく近くで馬の群れを見ました。7〜8頭だったか? 4号炉の「石棺」に近づいて車を降りたあたりの放射線量は、500マイクロレントゲン/時以上(今回は放射線測定器があったので)。プリピャチ市の幼稚園の入り口付近の苔むした地面は、百数十マイクロレントゲン/時の値を示し、幼稚園の中に入ると、10マイクロレントゲン/時以下に表示が変わります。
チェルノブイリ市で飲み物を買いに食料品店に立ち寄り、出てくると、ガイドのS氏が立ち話をしていた相手を「汚染地域で働いている事故処理作業者。彼の娘は、児童舞踊・合唱団の一員として日本に行ったことがある」と紹介、東京の「チェルノブイリ子ども基金」が以前日本に招待しチャリティ・コンサートを行ったアンサンブルの名を挙げました。世界はせまいと言うべきなのかどうか。
それにしても、「第2石棺」の建設については、「現在、入札に参加している設計プランの技術面での比較検討を行っている。その後経済面の検討を行い、今年中には業者を確定する」との説明。2001年5月に、中国新聞のTさんと来た際には、「2005年には工事が完了しているだろう」という話でしたが……。
チェルノブイリ取材の感想
オデッサ人気質
チェルノブイリからの帰路、クルーの方々に感想を聞いてみたかったのですが、みな車内で眠っていました。この日の取材の前に、ウクライナの他地域での撮影があり、オデッサから来て働いている運転手氏によれば、みんな連日ろくに寝ない仕事振りだそうです。「あんなに働いて、いくらもらってるんだ? どうしてあんなに働くんだ? 気がついたら40になってて、一人で、何も残ってないってことになったらどうするんだ?」と言われても、私には答えられません。
オデッサの人はおしゃべり好き、冗談好きというステレオタイプの見方がありますが、この運転手氏はそれを裏切らない性格のようでした。クルーが宿泊していたホテルについてから、若いアシスタント・ディレクターのOさんにその話をしたところ、「番組を見た人の気持ちに何かが残ることを思って[仕事をして]るんですけどね……」とのお答えでした。
お土産のロック・バンドのCDから
ホフマン選集の「ツィノーバーこと侏儒ツァヘス」
さて私は、7月下旬から8月半ば過ぎまで一時帰国する予定です。帰国前にいつも考えるのがお土産のことで、何か最近のウクライナ・ポップスのいいのがないかと思っていたところ、某誌の記事でおすすめのロック・バンドのCD(6月8日発売)があり、購入してみました。20グリヴナ(1ドル=5.05グリヴナ前後)。
バンドの名前は、E・T・A・ホフマンの作中人物の名からとった「侏儒ツァヘス」というもの。ちょうど昨年だったか、70年代に東独で出たドイツ古典文庫中の3巻本ホフマン選集を古本屋で買い(45グリヴナ)、そのまま読まずにしまっていたのを思い出し、取り出して「ツィノーバーこと侏儒ツァヘス」を読み始めました。
布装のこのドイツ古典文庫は、私が日本の大学で独文の学生だった時研究室の書棚にあり、西独から来ていたドイツ人講師が手にとって 「きれいで清潔」と言ってたのを思い出します。「侏儒」というといかにも古風ですが、作品そのものはメルヒェンなものの、この人物は普通の人間で、先天的に背丈が低いとされているので、「小人」とするのは語弊があるかも。
『オレンジ革命』と良質のウクライナ語楽曲のスタート
以前、「政治的に正しいグリム童話」というアメリカのユーモア本の日本語訳が出た時、「白雪姫と7人の小柄な人たち」という一篇もあったと思います。それはそれとして、ロックのCDなど真面目に聞くのは久し振りですが、これはけっこう気に入りました。ヴォーカルの女性がウクライナ語で歌詞を書いており、歌詞はまあそれなりですが、音はなかなかしゃれており、既成のウクライナのバンドにはない趣味を感じさせます。ヴォーカルのルックスが、よくある感じの美形あるいは「ロッカー」というタイプでなく、味のある表情なのもよろしい。
バンドのサイトwww.kryhitka.com.uaを見ると、99年からコンサート活動を始め、「今、良質のウクライナ語楽曲が本格的にスタートを切るのに好適な状況が社会に生まれてきた」としているのは、「オレンジ革命」と無関係ではないでしょう。
6月26日「若者の日」の独立広場でのコンサートには彼らも出演したようですが、おじさんの私は大量の青年男女がせっせとエネルギーを発散させている光景を想像し行きませんでした。ということで、この1枚はお土産のリストに入れます。ご注文承ります。(2005年7月4〜5日)
竹内高明(キエフ在住)