ユシエンコ大統領就任100日 13%のインフレ

キエフの4月はなんだか春の訪れが遅く、下旬に入って0度近くに気温が下がり、積雪がありました。5月になっても肌寒い天気が続き、9日の独ソ戦勝利60周年記念日にも気温は7℃前後。小雨が止まず、カシタンやライラックの花は開きかけているものの、春の気分を満喫というわけにはいきません。

ユシェンコ氏が大統領に就任して100日が過ぎたというので、マスコミでは新政権の評価がさまざまに行われました。年金や公務員給料の値上げなどでは選挙公約をそれなりに果たしたものの、今年の1月から4月までですでに13%を超えるインフレが起こり、食肉や石油の価格が高騰、それに政府が介入して、人為的に価格が抑えられています。私は肉をあまり食べず、車も持っていないので、あまり身にしみる問題として感じることがありませんでしたが、一方で4月末からグリヴナ高・ドル及びユーロ安の傾向が始まり、1ドル=5.25グリヴナ前後のレートが4.95グリヴナにまで移行しました。


クチマ政権下での収賄や職権濫用 検察の追求は
 

 前政権下の収賄や職権濫用に関しては、特に地方で多くの政治家が訴追されており、中でもドネツク州の州議会議長で、ウクライナ一の富豪・政商アフメートフ氏の友人であるコレスニコフ氏の、脅迫容疑に基づく逮捕は大きな反響を呼び、氏の釈放を求めてドネツクでのテント村設置など抗議行動が行われるに至りました。

前大統領クチマ氏が昨年
11月設立した「ウクライナ」基金に、過去数ヶ月で5,500万グリヴナもの寄附があり、しかもそのうち4,200万グリヴナは外国のオフショア・センター(自由金融市場)から流入したもの(つまり、ウクライナから流出した不正資金である疑いの濃いおカネ)であることも明らかにされています。同基金は、ウクライナの若い才能を保護・育成し、国外への頭脳流出を防止するためのもの、というふれこみだったのですが。

しかし検察の追及は、現政権の関係者には届かず、現在の野党に所属する人物に限られているとの批判もあります。政権交代後、各州の行政長が大統領により新たに任命され、それに伴って州レヴェルの官僚が更迭されていますが、地区病院の院長や地区新聞の編集者までが、大統領選挙でヤヌコーヴィチ氏を支持したという理由から、辞職を迫られているケースもあると聞きます。

ゴンガゼ氏殺害事件、ユシェンコ氏の「毒殺未遂」事件については、その後新たな報道がありません。元ロシア連邦保安局中佐が、例のクチマ大統領の会話の「盗聴」の仕掛け人は、当時のウクライナ国家保安局局長マルチュク氏であるという証言を、
419日ロンドンのウクライナ大使館で行いました。もっとも、この説は以前からマスコミでも流れていたもので、マルチュク氏本人は断固として否定している由。


新政権の外交 NATO加盟賛成15.1%

 外交に関しては、ユシェンコ大統領の積極的な外遊はウクライナのイメージ・アップに貢献したとみなされており、421日のヴィリニュスでのNATO・ウクライナ会談では、ウクライナのNATO加入に関して「より本格的な対話」を始めることが提案されました。もっとも、ある世論調査(2,040人対象)によれば、ウクライナ国民の48.1%はNATOへの加盟に反対しており、賛成は15.1%に過ぎません。

4月半ばに予定されていたティモシェンコ首相のモスクワ訪問は、「(春の)種蒔き事業期間」中外遊を控えるようにとの閣僚への大統領の要請を表向きの名目として延期されました。しかしこのことが、直前にマスコミで流れた、ロシア最高検察庁長官の「ティモシェンコ氏は(「ウクライナ統一エネルギー」社社長時代に、ロシア国防省と癒着していたとの疑惑で)従来通り国際手配の対象となっている」という発言に無縁であると信じている人は誰もいないでしょう。

その後、かつてティモシェンコ氏と首相職を争い、現在は国家保安・防衛会議議長となっているポロシェンコ氏がモスクワを訪れ、ウクライナがロシアに対し友好的であることをロシアのラジオの生放送で強調。「ロシア国民の方々に、ウクライナには皆さんの友人がいるのだと、言葉でなく行動で示したく思っております。そして、この皆さんの友人は政権内にもいるのです。ユシェンコ大統領、ポロシェンコ首相……」と言いかけて、訂正をするというハプニング付きでしたが。この「フロイト的言い間違い」に対し、ティモシェンコ氏は、「この訪問は、とーーってもハイレヴェルに経過して、とーーっても重要な結果を生んだに相違ありません。その重要性にかんがみて、彼は、『首相クラスの訪問』だと感じたんでしょう」とコメントしたそうです。



新政権に対する国民の評価は

ともかく、このような新政権の活動ぶりについて、体制や社会にはかばかしい変化がもたらされず期待外れとする人も少なくなく、「革命」を諸手を挙げて支持していた私の知人たちの中にも、はっきりと幻滅を口にする人がいます。私自身の生活をかえりみても、政権が代わってから見られた具体的なプラスの変化は思い当たらないというのが正直なところです。

しかし、たとえ対象が旧政権側の人物に限られているとしても、汚職の摘発が続けざまに行われているのはクチマ政権時代には考えられなかったことですし、また報道の自由化
(特にTVでの)が明らかなのも重要なことでしょう。

「チェルノブイリ原発関係で使われるべきだった公金の横領は
1,400万ドルに及び、現在63件の訴訟が最高検察庁により起こされている。また、被災者の社会保障のために使用されるべき17,000万ドルがこれまでに横流しされているという。『第2石棺』建設費用が2年間にわたって私企業に流れていた事実も明らかになっている。現在、チェルノブイリ原発は600万ドルの負債を抱えている」という報道も、チェルノブイリ事故19周年の426日にありました。こういう数字が出てくるというのも、これまでにはなかったことです。

ついでに引用しますと、「昨年行われた『第
2石棺』の入札には3つのプロジェクトが参加。落札企業[未定?]との契約締結は2006年末になる見込み。チェルノブイリ原発の敷地内にフランスの企業連合体『FRAMATONE』が建設している、使い済み核燃料貯蔵所は、プロジェクトが書類上の規準を満たしていないことがわかり、工事が停滞している。この貯蔵所建設は1999年に始まっているが、既存の貯蔵所の使用期限が切れる2016年までには完成しなければならない」……ということです。


「革命」のときに立ち上がった「普通の人々」

私が、「革命」後の新政府について、とりわけて幻滅を感じないのは、「革命」の時に私が感情的に肩入れをしていたのは、立ち上がった「普通の人々」に対してであって、ユシェンコ氏を初めとする政治家や、アメリカの援助を受けた活動家たちに対してではなかったからだろうと思います。新しい大統領を国民が選べば、彼の政府が正しい政治をするべきだ、という考えは、ちょっと大変甘いのであって、自分の権利は自分で守らなかったら誰が守ってくれるのか、というのが「革命」の教訓であり、どこどこ製というのでない、ただの単なる「民主主義」というものでしょう。

ところで、独ソ戦
(こちらでいうところの「大祖国戦争」)勝利の60周年記念日には、ユシェンコ大統領はモスクワに飛び、パレードに列席してからキエフにとんぼ返り、アスファルトが新調されたクレシャチク通りで行われた元軍人たちの行進の後、ティモシェンコ首相やリトヴィン最高会議議長らと、ウォトカやそば粥(蕎麦の実を塩味で茹でたもの)が元軍人たちにふるまわれるテントの中で人々と歓談。「国民に近い政権」をアピールするということなのでしょうが、例年軍事パレードをひな壇の上から観閲していたクチマ大統領に比べれば、好ましいやり方に思えます。次の100日がいかに経過するかは、おいおいご報告していきます。
(2005年510) 竹内高明



 

No.15