ゴンガゼ記者殺害 容疑者逮捕

2000916日夜、キエフの友人宅を出た後行方不明になり、同年112日キエフ近郊の森で首なし死体となって発見されたジャーナリストゴンガゼ氏の事件について、ユシェンコ大統領は31日緊急記者会見を行い、「事件は解決された、と言える根拠がある」と語り、ゴンガゼ氏殺害の容疑者たちが逮捕されたことを明らかにしました。

「前政権は、事件解決の意志に欠けていたのみならず、事件を解決したいという願望すら持っていなかった。……彼らの最終的目標は、事件を決して解決しないということだった」と、ユシェンコ氏はクチマ政権の姿勢を批判。翌
2日には、検事総長ピスクン氏が記者会見を行い、ゴンガゼ氏殺害の容疑者である警察関係者4名のうち2名が逮捕され、1名は自宅監禁、もう1名は指名手配中であると発表、ゴンガゼ氏の誘拐・殺害のいきさつを語りました。

それによると、ゴンガゼ氏は白タクを装った車にだまされて乗り、続いて乗り込んできた
3名に車内で暴行を受け、キエフ郊外に連れ出され、首を絞められて窒息死。死体はガソリンをかけられ燃やされた(燃やされかけた?)ということで、なぜ死体の首が切られたのかは不明なままです。

227日には、ゴンガゼ事件の関係者である疑いをかけられている自宅監禁中のネステロフ氏と、そのボディガードの警官が、同氏のアパートで手榴弾を投げつけられたものの、大事には至らなかったという事件がありました。ネステロフ氏は、11人の誘拐・殺害を行ったとみなされ現在捜査の対象となっている警官グループ『妖怪団группа оборотней(「ある時は警官、ある時は殺し屋」という変わり身からついた呼び名でしょう)に関わりのあった人物で、同グループとゴンガゼ氏殺害の関係についてもマスコミではさまざまに推測がなされています。

クラフチェンコ元内務大臣 自殺か

34日朝には、同日最高検察庁に出頭を求められていた、ゴンガゼ事件当時の内務大臣クラフチェンコ氏が遺書とピストルをかたわらに遺体で発見され、現内相のルツェンコ氏は自殺との見方を述べています。ゴンガゼ氏殺害には、クラフチェンコ氏のほかクチマ氏や当時の大統領府長官・現最高会議議長リトヴィン氏の関与もあったと見られており、今後の捜査がどこまで進展するかが、ウクライナ内外の注目を集めています。

チェルノブイリ救援事業としての医療機器援助
日本外務省「草の根無償支援プログラム」
 

 ところで
28日、日本国外務省の「草の根無償支援プログラム」による、チェルノブイリ汚染地域からの移住者が住むジトーミル州内27ヶ村の診療所への医療機器提供事業の「引渡し式」がジトーミル地区のサトキ村であり、同事業の発案者である「チェルノブイリ救援・中部」の代表団と、直接の申請者である「チェルノブイリの人質たち」基金代表キリチャンスキー氏、在ウクライナ日本大使甘江氏が出席しました。

この日偶然ユシェンコ氏がジトーミル市を訪れ、新しい州行政長
(現行の憲法では、大統領が任命することになっている)の承認式を行うことになっており、「救援・中部」代表団のメンバーには「ユシェンコの顔が見られるかも!」と冗談半分で喜んでいる人もありましたが、結局、そういう遭遇はありませんでした。

私個人は、有名人を自分の目で見ることに対する執着はほとんどありません。見たからって別にどうってことないじゃん、と思ってしまいます。その代わり
()、新州行政長のジェブロフスキー氏が甘江大使と15分ほど面会した折に、「救援・中部」代表団も同席しました。話の内容は、ジェブロフスキー氏がジトーミル州への日本の投資を促したのに対し、甘江氏が法制など投資環境の整備を勧告したという程度でしたが、40代前半くらいかと見える行政長の、役人臭のない初々しい態度が印象に残りました。

ジェブロフスキー新行政長
その生い立ちと実力


前任の行政長とも、同じ州庁舎の執務室で「救援・中部」の代表団が会見したことがあり、その人はコルホーズ長として業績を上げた人物ということでしたが……。その後、『今週の鏡』紙上で、新たに任命された各州の行政長の紹介があり、ジェブロフスキー氏についても記述がありました。

かいつまんで訳してみますと……同氏は貧しい農家で
6人の姉の弟として生まれ、高校卒業後キエフの鉄筋コンクリート工場で働き、兵役を終えてから警察で働きつつキエフ大学法学部で学びました。「彼が最初の百万グリヴナをいかにして稼いだかについて、公の履歴には何も記されていない。その後の数百万グリヴナの出所は周知のところである」というのが記者の表現ですが、周知の事業の一つは、薬品用のガラス容器製造工場。「資本の原初的蓄積段階の時代におけるウクライナの法制に精通し、国産製品の製造・販売企業の経営者として経験を積んだジェブロフスキー氏は、打ち捨てられていたこの工場をどん底から引き上げて始動させ、自らと人々に喜びをもたらしたのである」。

その他、彼の郷里であるルジン地区では、ジュースと薬草浸出液の製造工場・農場などが経営されている由。
2002年には最高会議議員選挙で当選、現在ユシェンコ政権下で国家保安・防衛局長官となっているポロシェンコ氏の率いる「連帯」党に入党、第一副党首になります。昨年の大統領選では、「我らのウクライナ」の選挙運動支部長を務め、「州行政長の椅子が配分される時期が到来した時、州民のうち、ジトーミルでそれを獲得する人物が誰になるかについて、賭けをする気になった者は皆無であったろう」。


しかし、「オレンジ革命」後の政変の中で、ジトーミル州出身の上記最高会議議長リトヴィン氏は別の人物を新行政長に推していたとのことですが、ユシェンコ大統領の意向は変わらず、ジェブロフスキー氏が任命されたのだそうです。同氏は新しい州行政の人事に際して実力主義を取り、不満を鬱積させないため、ウクライナでは初めて各局長と各地区行政長の指名に際し公聴会を開催。

しかし地区行政長任命に関しては、不満分子が多くの地区で抗議集会を行い、クチマ政権の与党でありユシェンコ政権下での野党宣言をした統一社会民主党副党首のザイツ氏
(ジトーミル選出の最高会議議員)は、記者会見で「ジェブロフスキーの決定の法的ニヒリズム」()について語った。しかし新行政長は、州内の人事は個人的野心や所属政党によるのでなく、ひとえに各人の権威と職業的能力に基づくものだとしている。

「それらはいずれも、各人が経営者としての実力をいかに発揮できたかということによって決まるものです。ビジネスマンとして成功を収めた人は、官僚としても成功するだろうということに私は確信を持っています。行政に必要なのは口の達者な人間ではなく、マネージャーとしての能力を持った人物なのです」。

ジェブロフスキー氏は、不法に他州の企業の傘下に吸収されたいくつかの企業をジトーミル州に取り戻す努力を始めただけでなく、これまでジトーミル選出の最高会議議員らの「保護」を受けていた御影石産業や製材業の振興に力を入れる予定。「ジトーミル州は、工業の発展した他の地域に原料を提供する立場にあり、豊かな自然が搾取されている状態です。我々の課題は、これに歯止めをかけ、従来の産業を復興するとともに、新たな加工業を、特に林業の分野で興していくことです」。

 氏は自家用車トヨタ・カムリを自らの経営する会社の一つに譲り、州行政が州議会から賃貸している公用車のベンツに乗っている。病気の子どもを支援する慈善基金の創立者でもあり、バルザックが晩年に結婚式を挙げたところとして知られるベルディチェフ市のカトリック教会に定期的な寄附をしている……としめくくるこの記事は、多少新行政長の宣伝っぽく感じられないでもありませんが、かつて「チェルノブイリの人質たち」基金が行った「チェルノブイリの1グリヴナ」キャンペーン(ジトーミル州民の各人がせめて1グリヴナずつでも、州立小児病院血液腫瘍センターの機器購入などのため寄附をするよう呼びかけたもの)で、最高額の寄附をしてくれたのはこの人だと聞いています。(2005年38)   竹内高明(在キエフ)



No.13