アウシュヴィッツ解放60周年記念
ウクライナでは1月下旬になって積雪があり、キエフで23cmだかの降雪量だったそうですが、ところにより停電や道路が不通になるなどの支障が生じたとニュースで報じられていました。この積雪の前に、外国の来賓多数を迎えてのユシェンコ大統領就任式があり、数日後にはクレシャチク通りを占拠していたテント村が撤去され、2ヶ月振りに、自動車が走る場所という、通り本来の機能が発揮され始めました。大統領は就任後ただちにロシアを訪れ、その後欧州評議会総会、ダヴォスでの世界経済フォーラムに出席、27日にはクラコフで開かれたアウシュヴィッツ(ロシア語表記はオスヴェンツィム)解放60周年フォーラムでスピーチをしました。
「ヨーロッパにとってソビエトの軍人は永遠の解放者」(新聞イズヴェスチアから)
『イズヴェスチヤ』の報道によれば、ポーランド大統領が開会の辞を述べ、イスラエル首相の発言があった後、司会者の以下のような言葉があったそうです。「あまりにも大きな代償を払った、もう一つの国民があります。ヨーロッパにとって、ソヴィエトの軍人たちは永遠に解放者であり続けることでしょう。したがって、私たちは今、ウクライナ大統領ヴィクトル・ユシェンコ氏にスピーチをお願いすることといたします」いささか唐突に響くこの発言は、ロシアとウクライナの間の亀裂を深めるための工作ではなく、単に悪天候のため、プーチン大統領の到着が遅れていたことによるもの……というのが『イズヴェスチヤ』記者のコメント。それにしても、「ヨーロッパにとって、ソヴィエトの軍人たちは……」以下の表現は、フィンランドやバルト3国、ハンガリーやチェコの国民にとっては、控え目に言っても耳にすんなりとは入りにくいものでしょう。ともあれ、そういういきさつで、ユシェンコ氏はロシア大統領の「代役」を務めることになったわけです。
「ユダヤ人問題は起させない」(ユシェンコ氏)
同紙による氏のスピーチの引用を以下に孫引きします。
「11367番という番号をつけられた、アウシュヴィッツの元囚人である父の話から、私はこの人類に対する犯罪について知ったのです。そしてその痛みは私の中で今も生きています。私の同胞たちとこの痛みを分かち合いたいと願っています。というのも、地獄への扉を永遠に閉ざすだけの賢明さを私たちに与えてくれるのは、この痛みだけだからです。私は、ウクライナで、いうところのユダヤ人問題が決して生じないことをお約束します!!!」
アウシュヴィッツ・ソ連軍捕虜14,000人
生き残り92〜174人はソ連で強制労働
最後の感嘆符3つのうち1つ2つは、言うは易しだよね、といった記者の感想を反映しているかもしれません。1941年後半から、アウシュヴィッツにはソ連軍の捕虜が収容され始め、その総数は14,000人にのぼり、解放まで生き延びたのは、ある文献によれば92人、別の文献では174人とあります。アウシュヴィッツを生き延びたソ連の捕虜たちを待っていたのは決して単なる「解放」ではなく、「外国で敵のために働いた。祖国への裏切りである」という罪状で、北極圏での鉄道建設労働を10年強制された人、サハリンの採石場で10年の労働刑を受けた人(いずれもウクライナ出身)などの例が新聞には紹介されています。フォーラムに同席したユシェンコ夫人の両親が出会ったのは、ドイツ軍にとらわれの身となった同志としてだそうです(これは新聞記事の情報で、それ以上詳しくは書かれていません)。
「反ユダヤ主義や外国人排斥は恥」(プーチン大統領)
遅れて登場したプーチン氏のスピーチを、また孫引きで紹介しますと、
「私たちはホロコーストを、全人類的な惨事として受け止めています。先日、ドイツ大統領は、過去を恥じているとおっしゃいました。しかし今私たちの多くは、今日の出来事を恥じなければならないのです。誰よりもユダヤ人の救済に貢献した我が国においてさえ、時折、反ユダヤ主義や外国人排斥といった病の表れがみられます。そして私もまた恥の思いに駆られるのです」
ユダヤ教禁止を要求する
ロシア国会議員
1月26日の『日々新聞(День)』には、ロシアの国会議員たち(議会内派閥『祖国』・共産党・自由民主党所属の)が、ロシアでのユダヤ教禁止を要求している、という記事が出ていました。その根拠は、「ユダヤの宗教は反キリスト教的であり、人間に対する憎しみを育むものであり、あげくは儀礼的殺人までを生み出すものである。このような過激な事件の例は法廷で証明されている」というもの。この呼びかけのテクストは『正教のロシア』なる新聞で発表されたのだそうです。
ウクライナの反ユダヤ主義
ウクライナでは、幸いにして、これほど露骨な「政治的反ユダヤ主義」の発現は目にしたことがありません。しばらく前、社会党寄りのある新聞が、ユダヤ人に対して差別的な記事を載せたというかどで廃刊を要求されていたことがありましたが、同紙は結局廃刊にはならずその後も発行されています。ソ連時代は人形劇場として使われていた、国立競技場近くのユダヤ教会(シナゴーグ)は、イスラエル国籍の富豪で、たしかウクライナのユダヤ人団体の一つの代表であるR氏がスポンサーとなって改装され、現在は本来の目的に使用されています。その隣には、旧約聖書の記述に基づいた、ユダヤ教徒にとっての「正しい食事(コシェル)」ができるレストランもあります。この教会がサッカー観戦帰りの若者たちに襲われ、ガラスを割られたという事件が1度ありましたし、古いユダヤ人墓地の墓石が何者かに倒されたという報道も見たことがありますが、そういう「民族差別暴力」の事件は、キエフでは今のところそれほど多発しているとはいえないと思います。
愛知万博のウクライナ・レストランで働く
さてこの後は全く別の話題に入ります。私の現在のアパートの大家さん(хозяйка)は、以前ベルギーやフランスでも働いたことのあるコックですが、3月から日本に行き、愛知万博ウクライナ・パヴィリオン(?)内のウクライナ・レストランで働くことになったそうです。食材は主に現地調達だそうで、ウクライナ名物の豚の脂身の塩漬け(サーロ)のことを考えたのでしょう、「日本で豚の脂身は手に入るか」と聞かれましたが、私にはなんとも答えられません。「日本で手に入る川魚や海の魚は?」と聞かれ、イワナやヤマメがウクライナ料理に使えるとも思えず、海の魚はだいたいなんでも手に入る……と言っても何の説明にもなりません。電話口で苦しんでいると、「まあ調べてみるわ」と言って話にきりをつけてくれましたが、どうなるんでしょう。ケシの実が手に入るか、とも聞かれたのですが、難しそうだとしか答えられませんでした。
おいしいウクライナ料理
昨年12月、広島のチェルノブイリ被災者支援団体「ジュノーの会」の派遣団のメンバーとして、小児血液病の専門医U先生がキエフに来られた際、以前広島で娘さんが白血病の治療を受けたご家族が、派遣団をキエフ郊外の小さな民俗博物館に招待してくれました。私も同行させていただいたのですが、18世紀に建てられた民家の中に、当時のポレーシェ地方の生活をしのばせる手仕事の道具の数々や民族衣装、古書などがそのままに保存されており、しかもその雰囲気の中で、当時の農家の食事をフルコースで味わうことができるという、なかなか楽しく興味深いところでした。自家醸造のヴォトカ(はロシア語ですね。ウクライナ流に「ゴリールカ」というべきか)や果実酒も美味でした。その時出てきたヴァレヌィキ(普通は茹でて作る餃子様の料理で、肉が入ればロシア料理のペリメニですが、ウクライナではキャベツやカッテージ・チーズ、ジャムなどさまざまなものを入れます。この時は古式にのっとって蒸してありました)の中に、ケシの実がたっぷり入ったものがありました。菓子パンなどでもケシの実が使われたものはよく見かけます。大家氏が日本で作る料理はどんなものになるんでしょうか。私は、愛知万博の開催自体はあほらしいことだと思うのですが、「帰国したら見においで」と言う大家氏の誘いを無下に断ることもできません。(2005年2月2日) 竹内高明(キエフ在住)