キエフでは年が明けてからずっとプラスの気温が続いており、雪がちらついたりもしましたが、結局積もらずじまいでした。1月としては記録的な暖かさのようです。クレシャチク通りのテント村は、住人数が減ってはいるようですが相変わらず残っており、独立広場には例年通り高さ30数mだったかのツリーが立ち、宵にはきらびやかにネオンを輝かせています。
いつだったか、年末にそのそばを通りながら、携帯電話で「今、国のメイン・ストリートを歩いていて、国のメイン・ツリーのそば[возле главной елки страны]」だと話していた男性がいたのを思い出します。その界隈の屋台では今やオレンジ色の帽子・マフラー・ヴィニール袋などのユシェンコ支持グッズ(?)が売られていますが、オレンジのリボンを服やカバンにつけた人はもうほとんど見られなくなりました。ユシェンコ氏の大統領就任式がいつになるのかは、未だに確定していないようですが。
大統領選で政治的見解の分かれたことはすでにやや旧聞に属しますが、キエフでの、― というより、この地球上での、― 私の知人で唯一のお金持ちのお宅にしばらくぶりに伺う機会がありました。再選挙直前の12月23日でした。40代半ばほど、私営企業の幹部である彼は、自分がユシェンコを支持している理由について、次のように語りました。
「なぜユシェンコを支持しているかというと、ユシェンコが大統領になれば、彼に対して野党の立場が取れるからだ。ユシェンコ側の陣営には、元閣僚・元副首相・元首相らがたむろしており、つまり従来の体制から切れてはいない。しかし、ユシェンコは彼と異なる立場の人間に耳を傾けることができる。クチマやヤヌコーヴィチなら、私などが何と言おうと初めから無視する[наплевать]だけだ」
もっとも、彼の友人でユシェンコ氏の協力者だったある人は、選挙運動が始まる前からウクライナ東部での広報活動に力を入れることを主張していたが、聞き入れられず、ユシェンコ陣営を去った。「ウクライナ分裂」騒ぎが起こった最近になって、彼の先見の明が認められた……という話で、これはユシェンコ氏の「耳の傾け」に関するさっきの話とかみあわない気がしないこともありません。
「ウクライナ東部の人たちと話すと、たとえインテリであっても、ユシェンコについて『過激な民族主義者』『ロシア語を抑圧する』などという誤ったイメージを本気で信じている。体制側のプロパガンダと情報統制のせいだ」と、30年もののクリミア産ポート・ワインのグラスを片手に彼の話は続いていくのですが、ブルボン王家の飼っていたなんとかフリゼという品種のお座敷犬をひざに抱えてそばに坐っていた彼の姑さんには別の政治的見解があるらしく、この話はもうやめましょうということになりました。
労働者の家庭でも家庭内での政治的意見の相違はここだけの話ではなく、私の20代前半の知人V君宅では、失業中のお父さんはヤヌコーヴィチ氏に投票、V君はユシェンコ氏に投票、工場労働者のお母さんは「両者に反対」(投票用紙にそういう選択肢がある)だったそうで、「結局、一家が選挙に行ったのは意味がなかった」という三者相殺? の結果だったとか。
あるチェルノブイリ原発事故障害者
ユシェンコ支持の立場から
同じ23日、元チェルノブイリ原発職員で事故の夜当直だったGさん(現在は障害者で無職、年金生活)にやはり久し振りで会ったところ、彼はさっそうとオレンジ色のマフラーをし、車(ソ連製の車。たしか15年以上乗っている)にもオレンジ色のリボンをなびかせていました。
「ヤヌコーヴィチの年金追加施策に目をくらまされ、彼を支持しているチェルノブイリ被災者が多いので、今は自分が被災者だと口にするのも恥ずかしい。しかし、ヤヌコーヴィチがやくざ者であり、ユシェンコが清廉潔白な人物であることは、火を見るよりも明らか。ヤヌコーヴィチを推しているドネツクの富豪アフメートフは、『自分がその気になれば、サルでも大統領にしてみせる』と言っている。」
政治についてはほとんど語らないと言われているアフメートフ氏のそういう発言がどこで公になったのか、聞き忘れました。それとも、『さる筋』の情報でしょうか。
第2次投票の後は、毎日独立広場に通い、1日何時間も立っていた。最高会議や大統領府へのデモにも参加した。ドイツ人の知人がおり、田舎に住んでいて政治には無関心な人間だが、最近のウクライナ関連のニュースを見て急に世界情勢に興味を示し始めたらしい。
妻の実家があるЧ州では、コルホーズ崩壊後豊かな土地の多くが休耕状態となり、家畜の数も激減、農村が荒廃している。同地方がクチマ大統領の出身地であるため、キエフからЧ市への道路だけが立派。自分の生まれたところでさえまともな生活を保障できない人物が大統領をやってきたんだ[地元偏重の政策でない、と考えれば、「立派」かも?]。ユシェンコが大統領になれば、国は大きく変わるだろう」
同じ頃、Ч州の某地区病院の医師からは、「ヤヌコーヴィチが首相になってから、農村でもいくらか状況が改善され、家畜の数も増えてきた。キエフなど中小の私営企業が多いところでは、ユシェンコが支持されているのだろうが、田舎では現在の自分たちの生活が大事と思われている。キエフの大学に行った若者が帰省してユシェンコの宣伝をし、独立広場に行く人には何十グリヴナだか渡すと言っていたという話が流れている。革命で盛り上がっている人たちの気を悪くするつもりはないが、無条件で賛同はできない」という話を聞きました。
ヤヌコーヴィッチ支持の強い
ウクライナ東部
支持者の期待に応えると同時に、こういう人たちをいかに納得させるかが、新大統領の課題となるのでしょう。ウクライナ東部の人たちの多くが、本気でユシェンコ氏を悪人と考え、ヤヌコーヴィチ氏を支持しているということについては、年末にドネツクに取材に行ったという日本のテレビ局の記者も話していました。ユシェンコ氏の首相時代にいくつもの炭鉱が閉鎖されたことなども、その根拠とされているのだそうです。
しかしそういう事実についての客観的判断は、炭鉱経営についての具体的な数字が提示され、誰にも納得の行く ― そういうことがあると仮定して、ですが ― 分析がなされないことには不可能です。
とにかく、人々の心中にわだかまっていた不満が噴出し、論議が起こり、意見の根拠を互いが示し合うという気運が出てきたこと自体は大いに評価すべきであり、権力の中枢で批判を排除し静かにことが進められるよりはよっぽど「民主的」ではないか、と私はその記者に話しましたが、つい物言いに熱がこもってしまったかもしれません。
「欧米」民主主義の移入か、それとも自力の民主主義か−それはともかく、今回のウクライナでの「革命」を、「ソヴィエト型文明とヨーロッパ型文明の対決」あるいは「ヨーロッパ型の意識とユーラシア型の意識の違い」「ウクライナがアジア(ロシア)とは違うことが示された」などといった表現で肯定的に評価する言説が、ウクライナのリベラルな、あるいは「西寄り」のメディアで繰り返し見かけられました。
一応アジアから来た人間として、そして「欧米」から民主主義を取り入れたとされている国の国民として、私には気になる書き方です。すすんだ地域の正しい制度をかしこい人たちが取り入れる、という発想があとから「土着」のしっぺ返しを受けるのは、日本の歴史でも経験のあるところなので。
もっともこの場合、ユシェンコ氏の支持層は多く「ウクライナ」に自己同定していて(「Я люблю Украину 」というフレーズがプリントされたオレンジ色のヴィニール・バッグも、ユシェンコ氏支持グッズの一つ)、ヤヌコーヴィチ氏の支持層は心理的にロシアに近いわけで、「ウクライナがどこ(の文化・文明)に属するのか」が問題となっており、単純に比較できないところはあります。(でも、日本人って、日本がどこに属するのかとかいうことでは、今やあまり悩まないみたいですね。「日本は日本だ」と思ってるのでしょうか。)
「民主主義」そのものがヨーロッパのお家芸というのでなく、民が自らの主となるという根源的な思想が、ここ数世紀の間にヨーロッパでできた制度の中で動きつつさらに普遍性を模索しているというべきではないでしょうか。この間のウクライナ情勢が詳しく報道されているらしい日本で、それを機会に自分たちの社会の「民主」状況を見直した人はいたのかどうか。 (2005年1月10日〜11日)
竹内高明(在キエフ)